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「天下」から世界へ : 魏源の理想と戦略
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名前 / ファイル | ライセンス | アクション |
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KJ00005381924.pdf (940.9 kB)
|
Item type | 紀要論文(ELS) / Departmental Bulletin Paper(1) | |||||
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公開日 | 2005-01-01 | |||||
タイトル | ||||||
タイトル | 「天下」から世界へ : 魏源の理想と戦略 | |||||
タイトル | ||||||
言語 | en | |||||
タイトル | From "Tian-Xia"天下 to the World : Wei Yuan's Ideal and Strategy | |||||
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資源タイプ | ||||||
資源タイプ識別子 | http://purl.org/coar/resource_type/c_6501 | |||||
資源タイプ | departmental bulletin paper | |||||
ページ属性 | ||||||
内容記述タイプ | Other | |||||
内容記述 | P(論文) | |||||
論文名よみ | ||||||
その他のタイトル | テンカ カラ セカイ エ ギゲン ノ リソウ ト センリャク | |||||
著者名(日) |
銭, 国紅
× 銭, 国紅 |
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著者名(英) | ||||||
識別子 | 18808 | |||||
姓名 | Qian, Guohong | |||||
言語 | en | |||||
著者所属(日) | ||||||
大妻女子大学比較文化学部 | ||||||
抄録(日) | ||||||
内容記述タイプ | Other | |||||
内容記述 | 小文は十九世紀清中国知識人魏源にみられる世界像の変遷とその意味を分析することを目的とする。中国では普通アヘン戦争(一八四〇~四二)を以て、近代史の始まりとする。これは中国の近代が西洋との対決と融合を抜きにしては語れないことを意味している。イギリス商人の飽くことを知らぬ悪辣な阿片密輸によって引き起こされたアヘン戦争は、中国人の西洋認識に重大な転換を与えたのみならず、中国人に初めて世界における自己を認識させる上でも徹底的なインパクトを与えた。こうした情勢の下で本格的に世界にまで視野を広げるに至ったのが魏源(一七九四~一八五七)であり、その『海国図志』(一八四二)、『聖武記』(一八四二)大著二編であった。『海国図志』では、イギリスがいかにして十九世紀の世界覇権を握ったかに注目するばかりでなく、さらにこの西洋最強国を理解するには、地球レベルでみなければならないと主張した。こうして、魏源は侵略者から身を守るために、とりあえず侵略者の長所を取り入れ、これをもって侵略に備えるという二段階説をとり、『海国図志』もこうした二重構造になっているといってよい。〈夷の長技を我が物にする〉ため、被け世界の全ての国を視野に収め、その歴史・地理及び軍事・政治等を悉く分析していく。また戦略・戦術として各国間の利害関係を利用する「以夷款夷」(夷を以って夷を款する)の策まで考えていた。彼は「英夷」以外の諸国にも目を配っていたのである。例えば、彼はアメリカを中国の立場にもっとも近い、互いに似通った正義と理想の国として眺めていた。アメリカと中国は地理的に相似するのみならず、外来勢力に対する抵抗者であるところも似ているという。『海国図志』巻五十九においてはワシントンの宣言文をそのまま引用し、アメリカとイギリスとの対立、アメリカ人のイギリス支配からの独立を讃えた。魏源がイギリスを「英夷」と、アメリカを「米夷」と呼ばなかったのは、ゆえなしとしないのである。要するに十九世紀中葉以来、中国の知識人たちはかつてない世界像の拡大を体験する。魏源を初め、洋務派や改良派などの指導者たちは次々と西洋世界に目を向けるようになり、地理的世界のみならず、精神的世界にも接点を求めつつ、独自の世界参画への道を歩み始め、こうして近代中国の世界認識の原型を形作っていく。「天下」から「世界」へと世界像を転換させるために、これらの人々は古代中国の大同理想に思いを馳せる一方で、永らく停滞してきた中国思想に西洋世界の刺激を注入し、自己中心的世界像から脱出する困難な旅に上る。このような模索は、近代中国人の最初の「西洋」発見として、或いは世界における中国のあり方に対する切実な問いとして、中国独自の新しい世界像の展開を促すものであった。 | |||||
雑誌書誌ID | ||||||
収録物識別子タイプ | NCID | |||||
収録物識別子 | AA11448895 | |||||
書誌情報 |
大妻比較文化 : 大妻女子大学比較文化学部紀要 en : Otsuma journal of comparative culture 巻 6, p. 37-49, 発行日 2005 |