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ペルシア湾岸の石窟遺跡とイラン仏教の可能性
https://suac.repo.nii.ac.jp/records/1782
https://suac.repo.nii.ac.jp/records/178216d977da-5d9e-456d-a75a-9e7fa37ea81d
名前 / ファイル | ライセンス | アクション |
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![]() |
Item type | 紀要論文(ELS) / Departmental Bulletin Paper(1) | |||||||||
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公開日 | 2022-03-27 | |||||||||
タイトル | ||||||||||
タイトル | ペルシア湾岸の石窟遺跡とイラン仏教の可能性 | |||||||||
タイトル | ||||||||||
タイトル | Caves on the Persian Gulf and the possibility of Iranian Buddhism | |||||||||
言語 | en | |||||||||
言語 | ||||||||||
言語 | jpn | |||||||||
資源タイプ | ||||||||||
資源タイプ識別子 | http://purl.org/coar/resource_type/c_6501 | |||||||||
資源タイプ | departmental bulletin paper | |||||||||
ページ属性 | ||||||||||
内容記述タイプ | Other | |||||||||
内容記述 | P(論文) | |||||||||
記事種別(日) | ||||||||||
研究論文 | ||||||||||
論文名よみ | ||||||||||
その他のタイトル | ペルシャ ワンガン ノ セックツ イセキ ト イラン ブッキョウ ノ カノウセイ | |||||||||
著者名(日) |
青木, 健
× 青木, 健
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著者名よみ |
アオキ, タケシ
× アオキ, タケシ
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著者名(英) |
AOKI, Takeshi
× AOKI, Takeshi
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著者所属(日) | ||||||||||
文化・芸術研究センター | ||||||||||
抄録(日) | ||||||||||
内容記述タイプ | Other | |||||||||
内容記述 | 本稿は、仏教がイラン高原西部まで及んでいたか否かを論じる試論である。仏教がイラン高原東部(現在のアフガニスタン)まで及んでいたことは、今更論じるまでも無い。この延長線上に、先行研究の一部は、ナウバハールの地名の普及、ゴータマ伝説の普及、イラン・イスラーム神秘主義の思想構造などを根拠として、仏教はイラン高原西部まで到達していたと結論している。しかし、この所説は、未だ定説にはなっていない。 そんな中、筆者は、ペルシア湾岸にある二つの石窟遺跡に注目した。チェヘル・ハーネ石窟とガルアテ・ヘイダリー石窟である。両者は、陸のシルクロードの沿線には無く、イラン高原東部で栄えた仏教遺跡と結び付けて論じるのは無理筋と感じられる。その代わり、ペルシア湾岸からスリランカを結ぶ海のシルクロードの要衝に位置しているので、今後は、インド洋に於ける仏教伝播の一齣として研究する必要があるのではないだろうか。 |
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雑誌書誌ID | ||||||||||
収録物識別子タイプ | NCID | |||||||||
収録物識別子 | AA11576760 | |||||||||
書誌情報 |
静岡文化芸術大学研究紀要 巻 22, p. 69-76, 発行日 2022-03-31 |