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今回の実験授業では、考古・日本史学コースの専任教員である筆者仁藤が担当する「日本史演習―」言一年対象のゼミ)と東洋史学コースの専任教員である筆者小川が担当する「東洋史研究法2」(東洋史学の研究法の基礎を学ぶ二年を対象とした授業)を合同授業とし、東洋史学コースについては、受講生以外の学生にも参加を呼び掛けて、実施することにした。テーマは、筆者仁藤が七世紀から十世紀の王権構造と律令官僚制に関する研究を進めていること(2で 筆者小川が研究分担者として参加している科学研究費・基盤研究(B)の研究テーマとして宮廷女官とジェンダーについて扱っていること(3で 宮廷女官をテーマとした中国や韓国の時代劇ドラマが日本でも放映されて人気を博していることもあり、学生にとって興味を惹くテーマとなる可能性があるように思われたことなどを鑑みて、日本と中国の宮廷女官のあり方を比較検討することとし、それに東アジア的な視点も考慮して、朝鮮王朝の女官制度に関する話も絡めて、より深みを持たせようと考えた。\n そして、テーマを「東東古今・女官対決」とし、授業のねらいは「日本と東アジアの歴史は密接な係わり合いがあるため、それぞれの歴史を見ているだけではその事象を深く理解することができないものも多い。両者に共通する事象に注目し、その事象のあり方について、日本と東アジアの歴史の両方を合わせて学びながら、日本と東アジアの歴史の関係や両者の歴史や社会の特色について理解を深めることが必要である。今回は、王朝体制に欠かせない「女官」という存在に注目してこうした問題を考えてみる。」ということに設定した。\n また、中国や韓国の時代劇ドラマについても、脚色の問題などがあるが、学生の関心を惹く有用な教材になりうる可能性があるのではないかと考えて、話題として、適宜活用してみることとした。\n なお、本授業は、国士舘大学が進める教育改革のためのFD活動の一環としての二〇一八年度の公開授業にもなったため、授業には文学部の専任教員がコースを問わず多数聴講することとなった。また、二〇一九年三月十六日(土)に開かれた国士舘大学第二〇回FDシンポジウムでもその試みについて報告を行った\n二 実験授業「東東古今・女官対決」の内容\n 今回の実験授業は、二〇一八年十月二十三日(火)と三十日(火)の二回にわたって実施した。一回目の受講生は四十五名、二回目の受講生は四十八名であった。\n 参加者には、作業用紙一枚(資料参照)と史料プリントを配布し、教員はスライドも使って説明を行った。さらに、学生参加型の授業にするために、学生には史料を自分で検証する作業もしてもらい、学生の解答を聞きながら、内容の確認を行う作業も取り入れてみた。\n 本授業を実施するにあたって、教員は複数回にわたる綿密な打ち合わせを行い、作業用紙の作成、スライドの準備を行った。導入や要所に視覚的な効果も取り入れることにした。目標としたのは、学生参加型授業で、学問の「おもしろさ」を知ってもらうことである。また、歴史学という学問の手法を体験させるために、「史料」を提示して、史料の読み解きと複数の史料を比較する作業を主体とし、「考える」時間を設定した。\n (一)第一回(日本史編)の授業内容(非公開)\n①全体の導入(担当一筆者仁藤・小川)\n 日本でもヒットした韓国時代劇ドラマ『チャングムの誓い(大長今)』の一場面を見せながら、学生にも問いかけつつ、学生の持っている女官のイメージ゙を探り、なぜ女官が必要だったのだろうかという問題提起を行った。そして今回は、日本古代の女官制度について考えてみることにした。\n②日本史編の講義と作業(担当‥筆者仁藤)\n 【作業】『令義解』の後宮職員令の検証作業\n まず、史料プリント(史料①②参照)を配布し、学生に、後宮職員令からみた女官の律令官僚制における位置付けについて考えてもらった。『令義解』は、平安初期に編纂された養老令の注釈書である。\n 作業用紙の設問「一」の「奈良時代の女官制度とは?①『令義解』後宮職員令(後宮の職員に関する規定)を参考にして、後宮にどのような人がいるか(司があるか)書いてみましょう。」の解答欄に各自記入してもらった。\n【史料①】『令義解』後宮職員令\n 妃二員。右四品以上。夫人三員。右三位以上。嬪四員。右五位以上。\n宮人職員。内侍司。尚侍二人。「掌。供奉常侍、奏請、宣伝、検校女孺、兼知内外命婦朝参、及禁内礼式之事。」典侍四人。「掌同二尚侍・。唯不い得二奏請、宣伝・。若無二尚侍一者。得二奏請、宣伝・」掌侍四人。【掌同典侍唯不得奏請。宣伝】女孺一百人。蔵司。尚蔵一人。【掌。神璽。関契。供御衣服。巾櫛。服翫。及珍宝。綵帛。賞賜之事。】典蔵二人。【掌同二尚蔵・】掌蔵四人。【掌。出納、綵帛、賞賜之事。】女孺十人。書司。尚書一人。【掌。供奉内典、経籍及紙、墨、筆、几案、糸竹之事。】典書二人。【掌。同二尚書こ女孺六人。薬司。尚薬一人。【掌。供奉医薬之事。】典薬二人。【掌同二尚薬・】女孺四人。兵司。尚兵一人。「掌。供奉兵器之事。」典兵二人。「掌同二尚兵・」女孺六人。\n韈司。尚韈一人。【掌。宮閤管鎰、及出納之事。】典韈四人。「掌同尚韈」女孺十人。\n殿司。尚殿一人。【掌。供奉輿繖、膏、沐、燈油、火燭、薪炭之事。】典殿二人。【掌同尚殿】女孺六人。掃司。尚掃一人。「掌。供奉床席、灑掃、鋪設之事。」典掃二人。【掌同尚掃】女儒十人。水司。尚水一人。【掌進漿水、雑粥之事。】典水二人。【掌同尚水】采女六人。\n膳司。尚膳一人。【掌。知御膳進食先嘗、惣攝膳羞、酒醴、諸餅蔬菓之事。】典膳二人。【掌同尚膳】掌膳四人。「掌同典膳」采女六十人。酒司。尚酒一人。「掌。醸酒之事。」典酒二人。「掌同尚酒」\n縫司。尚縫一人。「掌。裁縫衣服纂組之事。兼知女功及朝參」典縫二人。【掌同尚縫】掌縫四人。【掌。命婦参見、朝会引導之事。】\n右諸司掌以上、皆為二職事・。自余為二散事・、各毎二半月・給二沐仮三日・。其考敘法式、一准二長上之例』東宮宮人及嬪以上女豎准い此」。\n 後宮とは、律令の規定としてはキサキ(妃、嬪、夫人、宮人)と女官(尚侍以下)を指すことを確認した。さらに女官は、後宮十二司といって十二の役所に分かれて、天皇の身の回りの実務を分担していたこと、なかには天皇の詔勅など機密に直接かかわる職務や、印璽や関契などレガリア・財宝などを収納し、宮城の鍵を管理するなど極めて重要な役割を与えられていたことも、作業を通じて学生たちに理解してもらった。\n 次いで、「②奈良時代の女官の社会的位置づけや実態について、授業からわかったことを書いてみましょう。」という問いを投げかけて、次のような史料を提示した。\n【史料②】『令義解』禄令 宮人給禄條\n 几宮人給レ禄者、尚藏准二正三位・。尚膳、尚縫准二正四位・。典藏准二從四位・。尚侍、典膳、典縫准從五位。尚 酒准正六位。尚書、尚薬、尚殿、典侍准從六位。尚兵、尚韈准正七位。尚掃、尚水、掌藏、掌侍准從七位。掌 膳、掌縫准正八位。典書、典薬、典兵、典韈、典殿、典掃、典水、典酒准從八位。自余散事、有位准二少初位・。\n 無位減二布壹端・。「給徴之法、並准い男。」\nこれは、女官の給禄基準を規定した法令であるが、ここから何かわかるか、学生同士で相談させて思考を深めさせた。「准正三位」などのように「准」という字があることを気づかせ、では何を基準に「准」という字が使われているのか、さらに質問を重ねた。やがて、「正三位」が男性官人(以下、男官)の位階であることに学生の一部が気づいた。そこで、女官には相当する位階がないため、男官の位階に「准じる」ことを説明し、位階と官職がリンクしている古代官僚制において、女官が例外的な存在であったことを理解させた。先に説明した後宮十二司が、天皇権力に密着した職務を持っていることと、女官が官位相当制の外側に位置し、「准位」しか与えられていないことを考えあわせさせた。\n さらに、「③平安時代になると、後宮・女官は変化します。どのように変化したでしょうか。その歴史的な背景をどのようにとらえるか、考えてみましょう。」という、歴史的変遷についての質問を設けた。その意図は、学生が高校時代までに学習してきた古文(中古文学)のイメージ゙を問いかけるものであったが、学生からは「女官が女房になった」という短絡的な回答ばかりであったため、講義に回すことにした。\n 以上、三題の問いに対する解答ができたところで、教員が学生の解答を聞きつつ、板書も行ないながら、内容の確認と解説を行った。\n「講義」\n 講義では、奈良時代の女官の実態についてから話し始めた。日本古代史研究における女官の研究は古く膨大なものであるが、大きく分けて、律令官人制研究からのアプローチと、ジェンダー学からのアプローチがある(5)それらの成果に学びながら、解説を行った。\n まず、奈良時代の特徴として女帝が多かったことをあげて、女官が天皇の近辺で活躍しやすい状況であったことを前提に、その実態についてみてみた。誰もが思い浮かべることのできる四名の著名な政治家の名をあげた。\n・藤原不比等\n・藤原仲麻呂\n・藤原豊成\n・吉備真備\n また、彼らと婚姻関係や兄弟姉妹関係にあったことが確かめられる女性の名をあげた。\n・藤原不比等↓縣犬養三千代(妻)\n・藤原仲麻呂↓藤原袁比良(妻)\n・藤原豊成↓藤原百能(妻)\n・吉備真備↓吉備由利(妹または娘)\n そして、以下のような発問と説明をした。なぜ、彼女たちの名前は歴史に残ったのだろうか。それは、彼女たちが有力な貴族の妻であっただけでなく、有能な高位の女官であったからである。\n 縣犬養三千代は、元明・元正女帝に仕え女官(尚侍)で、美努王や不比等と婚姻し、聖武天皇の乳母であった可能性もある。所生子に、橘諸兄、橘佐為、光明皇后などがいる。橘姓を賜与されて、橘三千代と名乗った。\n 藤原袁比良は、北家・藤原房前の娘であり、従兄弟の南家・藤原仲麻呂の妻となり、真従・真先・訓儒麻呂・真文・児従などを生んだ。孝謙女帝や淳和天皇のもとで尚蔵兼尚侍を務め、光明皇太后ともパイプを持つ女性であった。彼女の早死が、仲麻呂政権が瓦解の遠因の一つとも言われている。\n 藤原百能は、京家・藤原麻呂の娘で、従兄弟の南家・豊成に嫁いだ。夫が左遷から政界へ復帰した時には、重祚した称徳女帝の尚侍を務めた。薨伝に「大臣薨して後、志を守ること年久しく、内職に供奉りて貞固を称へらる」とその貞節が称えられた。\n 吉備由利は、父(もしくは兄)の吉備真備とともに称徳女帝に信頼され、側近として典蔵を務め、のちには尚藏という天皇の家産の金庫番を務めている。また、女帝である称徳天皇が病に臥すと、ただ一人天皇の寝所に出入りを許されたという話が伝わっている。\n この四例から、女官が婚姻・出産ができたこと、男官の出世は妻に左右され、有力な女官を求めることが政界での成功するための秘訣であったこと、女帝の時代には有力なパイプ役を果たしていたことがわかる。\n こうした内容に対する学生の反応であるが、特に、男官との関係では、女官と婚姻は可能であること、有力貴族は夫と妻、兄弟と姉妹の男女ペアで出仕していることは学生にとって意外であったらしく、「男官と女官が互いに血縁を結ぶことで、政治的に連携していた。相乗効果?(S・N)」、「男の出世は妻に左右、有能な女官をさがせ(S・M)」とのコメントがあり、反応が大きかった。\n なお、女帝のいない時代になると、後宮内でもキサキの序列化か顕著になり、女官の二極化か進み、天皇の配偶者となる(可能性もある)ものと実務派女官に大きく分かれることを説明した。このことについては、「天皇に気に入られれば側室、仕事を買わればお局様(M・T)」という学生のメモが目を引いた。\n 最後に、女官ではない「女房の登場」が、平安時代になるとみられたことについて説明した。女房は、キサキやキサキ予備軍の女官のために、私的に仕えることになった女性使用人であり、女官=女房という理解は正しくないことを指摘した。\n③まとめの作業(担当一筆者仁藤・小川)\n 授業の最後には、作業用紙の設問【I】の「②奈良時代の女官の社会的な位置づけや実態について、授業からわかったことを書いてみましょう。③平安時代になると、後宮・女官は変化します。どのように変化したでしょうか。その歴史的な背景をどのようにとらえるか、考えてみましょう。」に記入してもらい、教員が学生の解答を聞きつつ、日本古代における女官の位相をまとめた。日本古代における律令官僚制では、男官と女官が相互に連携しつつ運営されていくこと、婚姻も可能であったことなどを確認して終えた。\n また、次回への導入として、筆者小川が、冒頭に見た『チャングムの誓い』などの例を引いて、朝鮮王朝における女官との比較を通じて補足説明を行った。\n (二)第二回(中国史編)の授業内容(公開)\n①導入(担当‥筆者小川・仁藤)\n 前回の要点を確認し、その上で、日本の後宮十二司制のモデルは唐の六局二十四司制であることを説明した。そして、そもそも唐の女官制度(六局二十四司制)とはどのようなものだったのか、日本との違いはあるのか、との問題提起をした。そして、今回は中国の女官制度について、日本と比較しながら考察してゆくこととした。\n②中国史編の講義と作業(担当一筆者小川)\n【作業】『大唐六典』『新唐書』と『令義解』の比較検討作業\n まず、唐の女官制度について記された史料である『大唐六典』巻十二、内官・宮官・内侍省の目次、及び『新唐書』巻四十七、内官・宮官の項(史料③参照)の史料プリントを配布し、唐の六局二十四司と日本の後宮十二司との類似点・相違点はどこにあるのかを検証してもらい、作業用紙の設問【2】の「唐の女官制度とは?①『令義解』と『大唐六典』(玄宗皇帝の命で編纂された唐王朝の官制と関連法制について記された書物)と『新唐書』(唐の正史)巻四十七、内官・宮官の項の内容を見比べて、似ている点と違う点を書いてみましょう。」の解答欄(「似ている点」「違う点」)に各自記入してもらった。\n【史料③】『新唐書』巻四十七、内官・宮官の項\n 内官。\n 貴妃、恵妃、麗妃、華妃、各一人、正一品。掌佐皇后論婦礼於内、無所不統。……淑儀、徳儀、賢儀、順儀、\n 婉儀、芳儀、各一人、正二品。掌教九御四徳、率其属以贊后礼。美人四人、正三品、掌率女官脩祭祀、賓客之\n 事。才人七人、正四品。掌叙燕寝、理総菜、以献歳功。\n 宮官。\n 尚宮局。尚宮二人、正五品。六尚皆如之。掌導引中宮、総司記、司言、司簿、司闡。几六尚事物出納文籍、皆\n 前其印署。有女史六人、掌執文書。司記二人、正六品、二十四司皆如之。掌宮内文簿入出、録為抄目、審付行\n 馬。牒状無違、然後加印。典記佐之。典記二人、正七品、二十四典皆如之。掌記二人、正八品、二十四掌皆如\n 之。司言、典言、各二人、掌承勅宣付、別鈔以授司闇伝外。掌言二人、掌宣伝、外司附奏受事者、奏聞、承勅\n 処分、則録所奏為案記。有女史四人。司簿、典簿、掌簿、各二人、掌女史以上名簿。稟賜、則品別条録為等。\n 有女史六人。司闔六人、掌諸閤管鑰。典闌、掌闌、各六人、掌分池啓閉。有女史四人。\n 尚儀局。尚儀二人、掌礼儀起居。総司籍、司楽、司賓、司賛。司籍、典籍、掌籍、各二人、掌供御経籍。分四\n 部、部別為目、以時暴涼。教学則簿記課業、供奉几案、紙筆、皆預侍馬。有女史十人。司楽、典楽、掌楽、各\n 四人、掌宮県及諸楽陳布之儀、前其閲習。有女史二人。司賓、典賓、掌賓、各二人、掌賓客朝見、受名以聞。宴会、則具品数以授尚食、有賜物、与尚功収給。有女史二人。司賛、典賛、掌賛、各二人、掌賓客朝見、宴食、賛相導引。会日、引客立于殿庭、司言宣勅坐、然後引即席。酒至、起再拝。食至、亦起。皆相其儀。形史二人、正六品。有女史二人。\n尚服局。尚服二人、掌供服用采章之数、総司宝、司衣、司飾、司仗。司宝二人、掌神宝、受命宝、六宝及符契、皆識其行用、記以文簿。典宝、掌宝、各二人、几出付皆旬別案記、還則殊書注入。有女史四人。司衣、典衣、掌衣、各二人、掌宮内御服、首飾整比、以時進奉。有女史四人。司飾、典飾、掌飾、各二人、掌湯沐、巾櫛。几供進、識其寒温之節。有女史二人。司仗、典仗、掌仗、各二人、掌仗衛之器。几立儀衛、尚服率司仗等供其事。有女史二人。尚食局。尚食二人、掌供膳羞品斉。総司膳、司醋、司薬、司饒。几進食、先霄。司膳二人、掌烹煎及膳羞、米魎、薪炭。几供奉囗味、皆種別封印。典膳、掌膳、各四人、掌調和御食、温、涼、寒、熱、以時供進則嘗之。有女史四人。司醋、典醋、掌醋、各二人、掌酒醋馳飲、以時進御。有女史二人。司薬、典薬、掌薬、各二人、掌医方。几薬外進者、簿案種別。有女史四人。司饐、典饒、掌饒、各二人、掌給宮人嵐食、薪炭、皆有等級、受付則旬別案記。有女史四人。尚寝局。尚寝二人、掌燕見進御之次叙、総司設、司輿、司苑、司燈。司設、典設、掌設、各二人、掌牀帷茵席鋪設、久故者以状聞。几汎掃之事、典設以下分視。有女史四人。司輿、典輿、掌輿、各二人、掌輿輦、繖扇、文物、羽旄、以時暴涼。典輿以下分察。有女史二人。司苑、典苑、掌苑、各二人、掌園苑蒔植蔬果。典苑以下分察之。果熟、進御。有女史二人。司燈、典燈、掌燈、各二人、掌門閤燈燭。昼漏尽一刻、典燈以下分察。有女史二人。尚功局。尚功二人、掌女功之程、総司製、司珍、司綵、司計。司製、典製、掌製、各二人、掌供御衣服裁縫。有女史二人。司珍、典珍、掌珍、各二人、掌珠珍、銭貨。有女史六人。司綵、典綵、掌綵、各二人、掌綿綵、\n縷帛、総菓。有賜用、則旬別案記。有女史二人。司計、典計、掌計、各二人、給衣服、飲食、薪炭。有女史二人。宮正一人、正五品。司正二人、正六品。典正二人、正七品。宮正掌戒令、糾禁、謫罰之事。宮人不供職者、司正以牒取裁、小事決罰、大事奏聞。有女史四人。阿監、副監、視七品。\n そして、学生が解答を書き入れたところで、教員が学生の解答を聞きつつ、板書も行ないながら、まず、以下の組織の対応関係を確認した。なお、講義では、以下で説明する内容を記したレジュメも配布し、それも併用しつつ解説を行った。\n 宮官(実務を担う女官)\n 尚宮局(全体の統轄、文書財務の管理、詔勅の伝達、鍵の管理を担当)\n ↓養老令=内侍司・蔵司・闔司\n 尚儀局(儀礼、宴会の運営を担当)↓養老令=書司\n 尚服局(宝物、服飾、儀式用の武器などの管理、湯あみの支度を担当)\n ↓養老令=蔵司・兵司\n 尚食局(料理、医薬を担当)↓養老令=薬司・水司・膳司・酒司\n 尚寝局(設備の管理、菜園の管理、照明の管理を担当)↓養老令=殿司・掃司尚功局(織物裁縫、生活必需品などの分配を担当)↓養老令=縫司\n 宮正(女官に対する監察を担当)↓養老令=なし\n そして、似ている点として、后妃と女官を区別している点、大まかな職務の内容、女官を三つのランク(唐は尚、司、典で、日本では尚、典、掌)に分けている点などがあることを確認した。\n さらに、違う点として、官職名や編成の仕方に違いがある点、女官の犯罪の取り締まりを担当する宮正にあたる官職がない点、唐では女官は官品(官職のランク)を持っているが、『令義解』掲載の女官には官位はない点(ただし、禄令でどの官位に相当するかは示されている)を確認した。\n また、唐では尚、司、典はどの局でも同一の官品(尚は正五品、司は正六品、典は正七品)であるが、日本では、尚、典、掌のランクは司により違いが見られ、唐の正五品より官位が高い女官もおり、尚藏が正三位相当、典蔵が従四位相当とされ、神璽を管理する蔵司の女官の地位が突出して高いことを説明し、そこに日本での神璽への重視が表れていることを確認した\n そして、『大唐六典』を見ると、内侍省という官庁があり、これは宦官の組織であることを説明し、中国王朝の後宮には、女官・男官とは別の存在、つまり、宦官がいること、内侍〔ナイジ゙〕は女官ではなく宦官であること、後宮の仕事は宦官と女官の分業体制であり、宦官の存在も考える必要があることを解説した。\n(講義可)\n 講義では、さらに宋代から清代の宮廷女官について以下のような解説をした。宋代には、六局の上に尚書内省という機関が設置され、女官の皇帝秘書官化か進み、高級女官である内夫人(内尚書)は男装していた。一方、宋代の宦官は、唐代に比べ、役割が低下していた。宋代には、貴族はおらず、基本的に高級官僚になるには科挙合格が必要であり、君主を貴族や武人が支える体制ではなく、科挙官僚(士大夫)が支える体制であった。社会的身分が日本古代や江戸時代よりも流動的で、女官の出身もさまざまであった。\n そして、日本古代のような男性官僚と女官が連携して君主を補佐するあり方ではなく、男性官僚と女官がそれぞれ君主を支えるというあり方であった。遼朝・金朝・元朝の女官は、北方民族的な風俗の影響があるようであるが、未詳である。\n 明代は、女官の組織が六局一司(一司は宮正司)に縮小し、永楽朝以降、宦官の影響力が強まり、皇帝秘書官的な役割が女官から宦官へと移った。\n 明代の女官は、礼部(官僚の採用を担当する官庁)が、容姿は問わず、「民間の十五歳前後以上の未婚女性」または「四十歳以下の夫がいない婦人」で、「読み書きができる者」の中から選抜していた。つまり、実務能力を重視しており、女官の出身は知識人階級であった。既婚で夫が生きている者はなれなかった。また、女官は一定期間の就労後は実家に帰って結婚しても残留してもよかった。\n 明代の後宮には女官以外に使用人もいて、彼女たちは宮人・宮娥嫁女と呼ばれた(皇帝の乳母も含む)。その中には、宦官と結託して権勢を得るものもいたが、多くは過酷な境遇に置かれていたようである。\n なお、明代の女性の服装は、旗袍〔チーパオ〕(チャイナドレス)ではなかった。チャイナドレスは、満洲族の伝統衣装に由来した衣服である。明代の女性の服装は、比甲(袖なしのチョッキ)などが特徴で、現在、明代以前の伝統的な衣服は漢服と呼ばれている。一方、朝鮮王朝の女性の衣服には、明朝の服装からの影響がある。\n 清朝は、六局二十四司制を採用せず、宮女は内務府(宮廷事務を行う機関)が管理していた。宮女は、採用対象が限定的で、内務府が行う秀女選抜により、皇帝の家政を担う内務府三旗という組織に属する女子の中から選抜していた。多くは十年ほど宮中で仕事をすると出宮して、結婚することも許されていたなお、清代の満洲族の女性の間では、両把頭〔リヤンバートウ〕という髪を上に盛り上げる髪型が流行していた。\n 以上の内容を解説した後、以下のようにその内容をまとめた。隋唐時代から宋代には、六局二十四司制が発展し、女官が皇帝秘書官的な役割も担っていた。しかし、明の永楽朝以降、皇帝秘書官の役割は女官から宦官に移った。女官は后妃と違い、実務ができる知識人であることが重視されており、知識人階級出身の女性たちが結婚経験を問わず採用されていた。\n つまり、明朝は、家柄(有力者の一族)というより知識人であることを重視していた。宮廷に入ると(男性官僚などと)結婚ができなかった(日本古代の女官とは違う)。清朝は、内務府が管理する体制になり、女官の役割は限定的になっていて、それには満洲族王朝であることが影響していると考えられる。\n なお、清代の話をする際には、中国でヒットした時代劇ドラマ『宮廷女官若曦〔ジャクギー(歩歩驚心)』の話も交えつつ説明を行った。\n③まとめの作業(担当‥筆者小川・仁藤)\n 授業の最後に作業用紙の設問【2】の「②女官のあり方や変化が宋代から明代と奈良から平安時代で違う点はどこですか?そうした違いが見られる背景には何かあると思いますか?日本にはなぜ宦官がいないと思いますか?」に記入してもらい、教員が学生の解答を聞きつつ、板書も行ないながら、内容の確認と解説を行った。\n そしテーマとめとして、日本では、宦官はおかれなかったが、平安初期に設置された「蔵人」という存在が重要であったことなどを解説し、東アジアにおいて官僚制を支えた男官・女官・宦官の意義とその文化的背景について説明した。\n三 授業アンケートの結果の分析\n では、今回の実験授業は学生にどのように受け止められたのであろうか。今回は、学生の反応を知るために、全ての授業が終了した後に、受講生に、作業用紙の「授業アンケート」欄の「授業の内容に関心を持ちましたか?」に回答してもらった。【グラフ「学生の満足度」】参照。\n その結果は、考古・日本史学コース(十八名)中、はい(十名/五十六%)、まあまあ(八名/四十四%)、いいえ(○名/○%)、東洋史学コース(三十三名)中、はい(二十一名/六十四%)、まあまあ(十一名/三十三%)、いいえ(一名/三%)となった(片方一回の出席者も含む)。\n 全体では、全五十一名の中で、はい(三十一名/六十一%)、まあまあ(十九名/三十七%)、いいえ(一名/二%)となった。なお、いいえと回答した学生も、「あんまり興味のない内容だったけれど、そこそこ、おもしろかった。」(H・K)とのコメントを書いていた。この数字を見ると、はいが約六割を占め、いいえがほとんどなく、今回の合同授業の試みに学生の関心を喚起する効果があることが数値として確認できる。\n さらに、「授業アンケート」欄では、具体的な感想を知るために、「授業を受けて、役に立ったこと(授業のやり方を含む)、興味をもったこと、さらに知りたくなったことを書いて下さい。」という設問も設けてみた。以下、その内容について詳しく分析してみたい。\n(一)考古・日本史学コースの学生の回答の分析\n①合同授業での比較検討作業について\n 考古・日本史学コースの学生からは、比較作業の意義について以下のようなコメントが寄せられた。「日本の女官、中国の女官、それぞれみてみると、これほど違いがあることに驚きました。自分の知らない世界だったので、勉強になりました。」(T・C)、「中国のことはなかなか勉強しないので、いい機会になりました。」(O・Y)、「時代によって女官の服装が変わっていて、面白いと感じました。」(N・H)、「新鮮で楽しかったです。」(U・Y)、「日本史のみを学んできたた\nめ、中国と比べることで視野が広がり、「女官」を軸に時代の流れをつかめた。」(O・A)、「比較することで説明が頭に入りやすいと感じた。」(A・R)、「世界史を高校でやってきて、中国史では宦官がピックアップされる。日本史と共に考えることでこんなにも違いがあるのかと思いました。」(S・N)、「日本と唐、両方を比べながらの授業だったので、違いなどが知れて勉強になった。それぞれの文化の違いも知ることができて良かった。」(T・H)という好意的な意見が大半であった。\n また、比較を通じて、それぞれの特質が顕在化したことによって、さらなる学習意欲が刺激された学生も見受けられた。例えば、「日本の女官にもっと興味を持ちました。特に男官と女官、天皇と女官の関係に。女官の政治体制への影響についてもっと知りたいと思います。」(D・T)、「日本と中国の女官たちについて、比べてみてみると、どちらか一方を学んでいるだけでは知ることのできなかった類似点や相違点を知ることができました。中国の女官に関するドラマや本も見てみたいと思います。」(K・A)、「中国と日本で女官の地位などが全く持って異なることがわかった。さらに女官について興味が湧いた。」(K・M)、「宦官についてもう少し知りたくなった。またなぜ中国には女帝がひとりしかいなかったのか知りたくなった。」(Y・A)などである。このことは大変望ましい反応であった。\n②深い理解への導きについて\n また、合同授業から、歴史に対するする深い理解へと繋がっていることを窺わせる以下のようなコメントも見られた。\n 「性別が与える政治への影響が、ここまで統治の中心部まで及んでいることに驚いた。」(M・T)、「女性に焦点をあてて史実を見てみるのはまた違う視点で面白かった。日本と中国の政治や役職の仕組みの差が女性によってわかるのもおもしろい。」(O・A)などは、視点や視座を定めることで、比較という方法が、学生の深い思考と理解をもたらすことを端的に示している。\n また、宦官の有無が、東アジアの官僚制をどのように規定していくのかということに、関心をもった学生もいた。「宦官がいない日本では蔵人が台頭、中国では女官から宦官へ職務が移動。君主を支える仕組みや体制は、王朝交替の有無が差異」(O・A)、「日本では蔵人、中国では宦官が台頭。日本では貴族が権力をもっていたが、中国では権力者が流動的。女帝がいたため宦官が必要なかったが、男帝のみになってくると宦官の代わりに蔵人が出てくる。」(Y・A)というより深い気づきもあった。本授業のねらいを的確に捉えてもらえたことは、筆者たちにとって大きな収穫であった。\n さらに、「日本では女帝が多かったゆえ、中国の男帝が多い場合での法は合わず、適所を改変していた。」(H・Y)というコメントは、日本における律令の継受と受容の問題点を突く革新的な問いと自分なりの考察をまとめたものと評価できる。\n③好奇心の喚起について\n なかには、現代社会と結び付けて、歴史的な評価を行うコメントもあった。「現代の日本には、女性の天皇や女性総理大臣がいないため、女帝や女官が活躍していた奈良~平安時代の方が、よっぽど女性の社会進出や男女平等の体制が敷かれていると思いました。当時の男女の違いに対する価値観をもっと詳しく知りたいと思いました。」\n(Y・C)。現代社会と歴史上の一時期を無批判に比較することは危険でもあるが、この学生の導き出したものは、歴史的位相における性差をさらに追及したいというもので、好感が持てた。このように今回の授業が学生の知的好奇心を刺激したことは成果として受け止められる。\n (二)東洋史学コースの学生の回答の分析\n①合同授業での比較検討作業について\n 合同授業での比較検討作業については以下のようなコメントが書かれていた。\n「今まで日本と中国はすごく似ていると思っていたが、いろいろと違う点が見えて、おもしろかった。」(M・N)。「日本史を中学からやっていなかったので、日本史について全然分からなかったけれど、東洋史との比較によって知ることもおもしろいと思った。」(M・A)。\n 「いつもであれば、東洋史学コースなので、中国側からの視点で見えていたものが、日本と中国を比較することで、両方とも初めて知ることなどが沢山あり、良かった。自分的には、とても楽しく授業を受けられたので、また、テーマは何にしろ、合同授業を受けてみたいと思った。」(S・Y)。\n 「日本と中国で比較することで、詳しく学ぶことができたし、視野が広がり、関心が高まりました。」(Y・H)。\n「日本と中国の女官制度の違いが、君主(のあり方)の違いによって変わるのがおもしろかった。」(K・N)。「日頃東洋史の内容しか見ていないので、こういった日本史の物事と比べて歴史を見るととてもおもしろかった。」(I・H)。\n 「日本・中国の女官の違いが結構分かりやすかった。北方民族の女官のことがまだ不明な所が多いのも意外だった。」(M・K)。「中国の女官の方はそれなりに知っていたが、日本の方は全然知らなかったため興味深かった。日本の制度と比べると新たな視点があり、楽しかった。また、中国と日本に関するこのような授業を受けてみたいと思いました。」(Y・K)。\n 「日本史と中国史で似た制度を比較することで、相互の制度について理解が深まりました。」(M・L)。「なんやかんやで楽しく受けることができました。広い視野で物事をみるというのは大切なことだとなんとなく分かった気がします。」(Y・K)。「中国と日本を比較するのは大切だし、面白いなと感じた。」(M・D)。「日本と中国を比べることによって、制度の違いがとても分かりやすかった。」(I・K)。\n以上の内容を見ると、「いろいろと違う点が見えて、おもしろかった。」「両方とも初めて知ることなどが沢山あり、良かった。」「日本と中国を比べることによって、制度の違いがとても分かりやすかった。」といったように、日本史との比較による内容の分かりやすさ、比較検討による新たな気づき、内容の面白さを指摘するコメントが複数見られ、日本史との合同授業での比較検討作業がコースごとの授業では得られない知的な刺激を学生に与えていること、つまり、合同授業の有用性が確認できる。\n②深い理解への導きについて\n また、合同授業への好意的な感想だけではなく、その内容が深い理解へと繋がっていることを窺わせる以下のようなコメントも見られた。\n 「私か初めて韓国ドラマ、中国ドラマなどを見た時に、どうして結婚出来ないのかと思っていた。今回、改めて話を聞いて、日本は形式など、中国を参考にしていても、男と女という考え方に対しては違うように思っていたのだと感じた。今回、とても面白かったです。」(Y・M)。\n 「奈良時代の日本は一見唐のシステムをほぽ全て踏襲しているように見えたけれど、日本の現状に合わせて変えていたのに驚いた。各国の観点から見て、比較してみるのは面白いと思った。」(T・Y)。「(日本は)中国から文化を受けてきたが、思ったより違いがあった。朝鮮は百%そのまま(中国の)制度を使っていたイメージ゙だが、日本はアレンジする能力が昔からあったのだなあと感じた。」(S・M)。\n 「日本の歴史はさまざまな事件・戦争・改革などをたどって現在まで成長してきたが、その中でもやはり男性が多く描写されているのが目立つが、この授業を受けて、女官制度など、歴史上での女性などにも注目して学習したいと思うことができた。」(I・H)。「日中では女官の役目は似ているが、意味合いが違うことが分かりました。」(O・T)。\n 「日本と中国の制度が全然違ってびっくりしました。」(H・S)。「中国と日本の女官制度の類似点や相違点が分かって良かったです。もっと細かく日本の女官制度について知りたいと思いました。」(U・K)。「古代は男尊女卑が強いと思っていたが、女性の地位が男性と同等か、位の高い人もいて驚いた。」(K・T)。「男性の出世に女性の能力がかかわるとうのは面白いと思いました。」(N・M)。\n 「奈良時代に女性が政治の場で多く活躍していたのが意外で、女性の天皇がいたことは知っテーマしたが、主要な政治家の中にも女性がいたのは知らなかったので、興味がわきました。他の時代ではどうだったのかも気になりました。」(S・Y)。\n 「中国の女官が結婚できなかったことや日本での女官は結婚ができ、なおかつ権力を握っていたことなど、とても興味深かったです。日本の女官についてももっと知りたくなりました。」(T・S)。\n 以上のコメントを見ると、囗本における中国文化の受容、女官の意味合いの違い、ジェンダーに関する文化的背景などについてのコメントがあり、合同授業での比較検討作業がより深い理解への導きにもなっていることが確認できる。\n また、「歴史上での女性などにも注目して学習したい」というコメントもあり、女性、ジェンダーという視点が、学生に新鮮さを感じさせたことも確認できる。\n③好奇心の喚起について\n さらに、好奇心の喚起に関するコメントも見られた。\n 「家柄がよくない女官が日本にもいたのか気になりました。宦官には誰でもなれたのか気になりました。」(M・Y)。「日本は女帝がたくさんいて、中国でも女帝が(沢山)でていたらどのような国になっていたのか気になりました。」(I・H)。\n 「同じく中国の影響を受けていたベトナム・西域・大理などの諸国ではどうだったのかが気になりました。」(S・N)。「日本・中国の授業を聞いて朝鮮が気になった。意外と自分の知っていること、興味のあることばかりでおもしろかった。」(K・C)。「女官制度が施行された世界では、どの地位(の人)が有利になるのかについて知りたくなりました。」(O・K)。\n 以上のコメントを見ると、女官や宦官の出身、ベトナムや朝鮮など日本・中国以外の地域への興味など、学生にとって、今回の授業が様々なことに興味をもっきっかけになっていることも窺える。\nおわりに\n 以上、本稿では、日本史・東洋史合同授業での試みと学生の反応について、授業アンケートを分析しながら考察してみた。その内容から、考古・日本史学コース・東洋史学コース共に、合同授業による比較検討作業が、学生に、分かりやすさや視野の広がり、新たな刺激、面白さを感じさせていること、さらに文化的背景などについてのより深い理解や好奇心の喚起にもなっていることが具体的に見て取れ、コースごとの授業では得られない教育的な効果を生んでいることが確認できる。\n こうした効果が確認できたこと、さらに、学生からも「また、中国と日本に関するこのような授業を受けてみたい」とのコメントがあることを考えると、今後も更に合同授業を企画・実施する価値は十分あるものと考えられる。\n 学生参加型の授業スタイルや時代劇ドラマの話の活用などについての評価は、特記したコメントが見られなかったため、具体的に学生の反応は確認できないが、分かりやすさや面白さに関する指摘が複数みられることから、その効果は一定程度あったと思われる。ただ、具体的な反応を検証してみる必要があると思われるので、今後の同様の授業を行った場合は、アンケートでこうしたことを問う項目も入れる必要があると考えられる。\n また、テーマ設定については、アンケートで、宮廷女官というテーマや女性からの視点に対する好意的なコメントが複数みられ、学生にとっては、よい刺激になっていたことが確認できた。今後更に女性やジェンダー視点からの更なるテーマ探しをしてみる余地もあるように思われた。\n 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名前 / ファイル | ライセンス | アクション |
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本文 (4.3 MB)
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Item type | 紀要論文 / Departmental Bulletin Paper(1) | |||||
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公開日 | 2021-01-21 | |||||
タイトル | ||||||
タイトル | 東アジアの宮廷女官をテーマとした日本史・東洋史合同授業の教育的効果について | |||||
タイトル | ||||||
言語 | en | |||||
タイトル | A Educational effect of joint class in Japanese history and\nOriental history. : Comparative study on Court ladies in East Asia | |||||
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資源タイプ | ||||||
資源タイプ識別子 | http://purl.org/coar/resource_type/c_6501 | |||||
資源タイプ | departmental bulletin paper | |||||
見出し | ||||||
大見出し | 論文 | |||||
言語 | ja | |||||
見出し | ||||||
大見出し | Article | |||||
言語 | en | |||||
著者 |
小川, 快之
× 小川, 快之× 仁藤, 智子× OGAWA, Yoshiyuki× NITO, Satoko |
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著者ID | ||||||
内容記述タイプ | Other | |||||
内容記述 | J-GLOBAL ID : 200901006388422331 | |||||
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内容記述タイプ | Other | |||||
内容記述 | J-GLOBAL ID : 201401097517608612 | |||||
書誌情報 |
国士舘史学 en : Kokushikan shigaku 巻 24, p. 35-62, 発行日 2020-03-20 |
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出版者 | ||||||
出版者 | 国士舘大学日本史学会 | |||||
NCID | ||||||
収録物識別子タイプ | NCID | |||||
収録物識別子 | AN10466645 | |||||
論文ID(NAID) | ||||||
関連タイプ | isIdenticalTo | |||||
識別子タイプ | NAID | |||||
関連識別子 | 40022331232 | |||||
研究課題番号 | ||||||
内容記述タイプ | Other | |||||
内容記述 | 17H02246 | |||||
NDC | ||||||
主題Scheme | NDC | |||||
主題 | 377.15 | |||||
フォーマット | ||||||
内容記述タイプ | Other | |||||
内容記述 | application/pdf | |||||
著者版フラグ | ||||||
出版タイプ | VoR | |||||
出版タイプResource | http://purl.org/coar/version/c_970fb48d4fbd8a85 | |||||
キーワード | ||||||
合同授業 教授法 東アジア 宮廷女官 日本史 東洋史 | ||||||
注記 | ||||||
本稿は前掲科学研究費・基盤研究 (B)「東アジアにおける家族のセクシャリテイの変容に 関する比較史的研究」の研究成果の一部である。 |