WEKO3
アイテム
{"_buckets": {"deposit": "e1e93807-a1b6-4f14-9b4a-d72f81186fee"}, "_deposit": {"created_by": 3, "id": "15261", "owners": [3], "pid": {"revision_id": 0, "type": "depid", "value": "15261"}, "status": "published"}, "_oai": {"id": "oai:kokushikan.repo.nii.ac.jp:00015261", "sets": []}, "author_link": ["23829", "23828", "23827", "23830", "23826", "23825"], "item_10002_biblio_info_168": {"attribute_name": "書誌情報", "attribute_value_mlt": [{"bibliographicIssueDates": {"bibliographicIssueDate": "2021-03-20", "bibliographicIssueDateType": "Issued"}, "bibliographicPageEnd": "104", "bibliographicPageStart": "61", "bibliographicVolumeNumber": "25", "bibliographic_titles": [{"bibliographic_title": "国士舘史学"}, {"bibliographic_title": "Kokushikan shigaku", "bibliographic_titleLang": "en"}]}]}, "item_10002_description_151": {"attribute_name": "著者ID", "attribute_value_mlt": [{"subitem_description": "J-GLOBAL ID : 200901014132131588", "subitem_description_type": "Other"}, {"subitem_description": "J-GLOBAL ID : 200901006388422331", "subitem_description_type": "Other"}, {"subitem_description": "J-GLOBAL ID : 201401097517608612", "subitem_description_type": "Other"}]}, "item_10002_description_180": {"attribute_name": "フォーマット", "attribute_value_mlt": [{"subitem_description": "application/pdf", "subitem_description_type": "Other"}]}, "item_10002_heading_148": {"attribute_name": "見出し", "attribute_value_mlt": [{"subitem_heading_banner_headline": "論文", "subitem_heading_language": "ja"}, {"subitem_heading_banner_headline": "Article", "subitem_heading_language": "en"}]}, "item_10002_publisher_169": {"attribute_name": "出版者", "attribute_value_mlt": [{"subitem_publisher": "国士舘大学日本史学会"}]}, "item_10002_relation_173": {"attribute_name": "論文ID(NAID)", "attribute_value_mlt": [{"subitem_relation_type": "isIdenticalTo", "subitem_relation_type_id": {"subitem_relation_type_id_text": "40022544823", "subitem_relation_type_select": "NAID"}}]}, "item_10002_source_id_172": {"attribute_name": "NCID", "attribute_value_mlt": [{"subitem_source_identifier": "AN10466645", "subitem_source_identifier_type": "NCID"}]}, "item_10002_subject_177": {"attribute_name": "NDC", "attribute_value_mlt": [{"subitem_subject": "377.15", "subitem_subject_scheme": "NDC"}, {"subitem_subject": "762.22", "subitem_subject_scheme": "NDC"}, {"subitem_subject": "768.2", "subitem_subject_scheme": "NDC"}, {"subitem_subject": " 288.4922", "subitem_subject_scheme": "NDC"}, {"subitem_subject": "288.41", "subitem_subject_scheme": "NDC"}]}, "item_10002_text_185": {"attribute_name": "異なりアクセス1", "attribute_value_mlt": [{"subitem_text_value": "第二五号 國士舘史學 No.25 March 2021 二○二一年三月"}]}, "item_10002_textarea_183": {"attribute_name": "キーワード", "attribute_value_mlt": [{"subitem_textarea_value": "オンライン授業 遠隔授業 音楽 楽器 皇帝 天皇 宮廷 王権"}]}, "item_10002_textarea_186": {"attribute_name": "異なりアクセス2", "attribute_value_mlt": [{"subitem_textarea_value": "国士館 KOKUSHIKAN-DAIGAKU-SHIGAKU-KAI 国士館大学史学会 國士舘大學史學會\nなかむらたけや\nAID(NACSIS-CAT 著者名典拠レコードID) : DA18969030\n国会図書館典拠ID : 001278716\nVIAF ID : 127151352052652601953\nおがわよしゆき Yosiyuki OGAWA\n科研費研究者番号 : 10400798\nAID(NACSIS-CAT 著者名典拠レコードID) : DA15455944\n国会図書館典拠ID : 01161029\nVIAF ID : 100664648\nISNI : 0000 0000 7109 0868\nにとうさとこ Satoko NITOH Satoko NITOU\n科研費研究者番号 : 40251699\nAID(NACSIS-CAT 著者名典拠レコードID) : DA1277234X\n国会図書館典拠ID : 00829199\nVIAF ID : 51242770\nISNI : 0000 0000 8231 3748"}]}, "item_10002_textarea_187": {"attribute_name": "異なりアクセス3", "attribute_value_mlt": [{"subitem_textarea_value": "⑤オンライン授業で考える中国と日本の王権と音楽\nはじめに\n 二〇二〇年早春より蔓延し始めた新型コロナウイルス (COVID-19) のために、多くの大学の授業が遠隔 (オンライン) 授業となった。遠隔授業では対面授業とは違う不便さもあり、教育的に限界も見られるものの、逆に対面授業より優れていると思われる点もあり、そうした点は今後対面授業が全面的に再開されても活用してもよいのではないかと考えられる。\n ところで、筆者仁藤・小川は、学生の学習意欲や理解力の向上のために比較文化史の研究手法を用いた実験授業を行いたいと考え、日本史と東洋史の合同授業を二〇一八年度から始め、今回で三回目となる。初回は宮廷女官をテーマに授業を行い、その内容を検討し、その教育的効果や課題点について論文にまとめた。\n さらに、昨年度は筆者中村も加わり、宮廷音楽をテーマにして合同授業を行ったが、準備不足があったため、その内容を再度練り直して、今年度も音楽をテーマに合同授業を行うこととした。昨年度の反省から、主旨を明確化するために王権との関連について掘り下げることとし、早い段階で今回のテーマは「音楽と王権」と設定してみた。音楽とは人々の生活と切り離せないものであるが、歴史学的手法から、国家が形成・展開していくなかで、王権・国家が音楽をどのように利用してきたのか、という側面に光をあてることとした。\n また、実施方法についても、冒頭でも触れたように、今年度は特別の配慮を必要とした。対面授業が行えないなか、新しく導入されたオンライン会議システム (Zoom) を利用して、日本史と東洋史の合同授業を行ってみようと考えた。事前の教員の勉強会や打ち合わせもすべてこのシステムを利用した。そして、Zoomの画面共有機能によるパワーポイント教材の提示、YouTubeやbilibiliなどの動画視聴サイトを活用した音楽の再現、さらに「チャット」「投票」「ブレイクアウトセッション」の機能が、学生の授業に対する主体的な参加を促すのに効果的であると考えられたため、これらを活用することにし、これらの教育的効果の検証も今回の実験授業の目的としてみた。\n 以下、本稿では、以上のような経緯で二〇二〇年度に国士舘大学文学部でオンライン授業により実施した日本史・東洋史合同授業「オンライン授業で考える中国と日本の王権と音楽」での試みとその教育的な効果について考察してみたい。\n\n 一 実験授業「オンライン授業で考える中国と日本の王権と音楽」の概要\n 本章では、まず、今回の実験授業の内容について説明しておきたい。今回の授業では、「音楽とは何か」、東アジア世界に国家が形成されて、展開していくなかで「音楽とはどういう存在であったのか」を考えていくことに焦点を当てて、授業を構成してみることにした。\n 授業は、二〇二〇年一〇月二日 (火曜日) 四時限、二〇日 (火曜日) 四時限の二回にわたり実施した。参加者は、考古・日本史学コースの三年次仁藤ゼミ(「日本史演習1」) の十一名と、東洋史学コースの三年次小川ゼミ (「東洋史演習1」)・四年次中村ゼミ (「東洋史演習2」)、及び上記ゼミ以外の東洋史学コースの参加希望者を合わせた計七名で、一三日の参加者は十五名、二〇日は十八名であった。\n 授業の構成は、第一回目に第一部と第二部の中国編を実施した。第二回目は、冒頭三〇分程度を使い、前回の復習ということで第一部と第二部の要点を確認した上で、第三部の日本編を実施し、さらに学生の意見のまとめを使った総括を行った。\n また、事前に第一部から第三部のレジュメ (A4サイズ数枚。重要語句は空欄になっているもの) を、本学で採用している教育支援システムのmanabaにアップしておき、さらに第一回目終了後に重要語句を記入したレジュメも確認としてアップし、第一回目の欠席者にも内容を確認してもらうように指示した。\n さらに第二回目終了後に第三部のレジュメ (重要語句記入済のもの) を確認としてアップした。当日の講義ではパワーポイント (スライド) を主に使用しながらレジュメの内容を説明し、第一部と第二部ではYouTube・bilibili上の動画も適宜活用した。なお、東洋史学コースでは、両日欠席者のために、manabaに第二部のOneDrive上の動画のURLも示しておいたところ、加えて数名の参加が見られた。\n\n 二 実験授業「オンライン授業で考える中国と日本の王権と音楽」の講義内容\n ここでは、さらに第一部から第三部の実際の講義内容について再現してみたい。講義の様子をリアルに伝えるために、Zoomに録画した動画も参考にして、あえて囗語調のままにしている。\n\n【第一部中国における音楽の誕生と王権(担当姻筆者中村二\nさて、〃音楽〃とはいったいなんでしょうか。現代の私たちも音楽を聴いていますが、古代の音楽はどういうも\nのだったと思いますか。第一部では、中国で〃音楽″が誕生した時に、どのようなものとしてとらえられていたか\nを正しく理解し、続いて〃音楽〃と社会・政治権力(王権)との関係について考えていきます。\nけん\n紀元前六○○○年頃の新石器時代には、壊という楽器がすでに登場しています。土で作られたオカリナのような\nもので、ド・ミ・ソの三音を出すことができました。紀元前十六世紀の段代には、篤と呼ばれる横笛が出てきてい\nます。これは、ド・レ・ミ・ソ・ラの五音階を出すことができました。\n(3)\nド・ミ・ソ、和音(C)と呼ばれる三音で、聞いていて気持ちがよいものです。古くから人びとは、心地よい音\n階を自然と知っていたことが分かるでしょう。このような「心地よさ」は、踊りとあわせることによって、神おろ\nしの場でトランス状態を作り出していたと考える研究者もいます。つまり、音楽は、神とつながるためのシールで\nあり、神を呼び出すことのできるものだと考えられていたのです。\n紀元前七世紀の春秋時代に孔子が編纂したと伝えられる『詩経」は、中国最古の歌謡集で、さまざまな歌詞が残\nされています。そのうち、「頌」は周王朝の朝廷の祭祀に、「雅」は儀式や宴会に用いられた音楽で、各地の民謡を\n採用した「風」とは大きく異なります。「頌」や「雅」は厳かな雰囲気ですが、「風」は、地方で労働の際に歌われ\nた俗っぽいもので、ラブソングもありました。\nそのため、『論語」には「鄭声(鄭の歌声)が、雅楽(正しい音楽)を乱しているのを憂う」という言葉が残さ\nれています。今でいえば、クラシックのオーケストラが奏でる音楽が、人びとの俗っぽい歌声で台無しになり、年\n寄りたちが心配するといった感じでしょう。\n\nオンライン授業で考える中国とR本の王権と音楽\nさて、このようにさまざまな音楽が出てきた時代に、当時の人が「音」や「楽」をどう考えていたのか、『礼記』\nの記述から読みとってみましょう。\n【スライドに「礼記」楽記篇を映し、二〜三分作業してもらい、チャット機能で枠内の空欄に何が入るか、学\n《《勾埋G望一\n生に答えを言ってもらった。一\n「音」”|外のモノ←|人のココロ|←声が出る(声の協和(調和)したモノⅡ【國回】)\n「楽」》|外のモノ←人のココロ←〃音〃をいくつもあわせたモノⅡロ問【】\n外界の様子に応じて人びとが出す声が合わさり、その声に和音が重なったものが音であり、楽であることが読み\nとれたでしょうか。音楽は、外のモノ(とある世界・とある雰囲気)を、そしてそこから感じられる人のココロ\n(とある心情)を、表現したものだと考えられていたのです。\n音を楽しむから「音楽」というのだ、という言葉を耳にしますが、本来は「音と楽」、あるいは「音の楽」の方\n音楽の生まれた時期では、音楽は、人びとが外のモノに心を動かされ、声となって出たものが源でした。このこ\nとは、きちんとおさえておきましょう。\n紀元前五世紀、戦国時代になると、その状況が変わります。長江中流域に、「曾」という国がありました。\nそうこういつぼ\n一九七○年代後半に「曾」の諸侯の墓である曾公乙墓が発見され、そこから、大量の楽器が出土しました。\n異なる音階の「鐘」をいくつも組み合わせたものを編鐘といいますが、曾公乙墓からは見事な編鐘が出土しまし\nさんぶそんえきほう\nた(資料①編鐘参照)。驚くべきことに、その編鐘は隣同士の鐘の音の差が均一でした。「三分損益法」という方法\nによって、人工的に音を操り、一オクターブを十二に均等に分割して人工的に音を作り出していたのです。当時の\nが正しいのです。\n\n-6}【曾公乙墓の編鐘(復元)を使った演奏を、二分間ほど視聴﹈\nこのように、戦国時代になると、「戦国の七雄」と呼ばれる国家で中央集権体制が整えられるとともに、国家権\n力によって音楽が演奏されるようになりました。戦国時代は各国がしのぎを削る時代でもあり、下克上のはげしい\n秩序が安定しない世の中だったので、各国では、編鐘で均整のとれた秩序だった音楽を演奏し、あるべき秩序.あ\nるべき世界を作り上げようとしたのです。\nさきほど確認したように、音楽は、外のモノに影響を受けて、人のココロが動いた結果、声となったものが源で\nした。音楽から、あるべき秩序や世界を作り出そうとしたことも、外のモノを(秩序だった)音楽に置き換え、次\nきほど確認したように、寺\nした。音楽から、あるべき秩吉\nのように説明できるでしょう。\n用語と現代の音階を並べると次のようになります。\n宮、羽角、商、徴曽、宮角、羽曽、商角、徴、宮曽、羽、商曽、徴角\n。○弁ロ口井画.句ゞ甸井の.の共シ、吟井国\n分かりましたね。中国では紀元前五世紀の段階で、現代のピアノの鍵盤のドから一オクターブ上のドまでの黒鍵\nを含む音のすべてを出すことができました。そして、編鐘全体では五オクターブ半という非常に広い音域を出すこ\nとができるようになったのです。\nれば、単壷\nはずです。\n編鐘でどのような音楽が奏でられたのかは、はっきりしていませんが、「礼記」楽記篇で確認したことを踏まえ\nば、単音をつなげたもの(メロディーを奏でたもの)ではなく、メロディーとともに和音も演奏したものだった\n\nオンライン授業で考える中国と日本の王権と音楽\n「荘厳で」「秩序だった」音楽(「音」があわさった「楽」)Ⅱ外のモノ\n外のモノ←人びとのココロ(荘厳で秩序だった)←(荘厳で秩序だった)声が出る\n古代の中国では、音楽や衣服や建築などの外のモノが、人びとのココロに作用すると信じられていたので、国家\nが理想とすべき社会を作り出すために「音楽」を利用し始めたことが分かるでしょうc\nそのことを、統一王朝となった漢代を例に見てみましょ\n、う。漢代では「元会儀礼」と呼ばれる、年度初めの皇帝と\n\nこのことからも、前漢では国家や社会の秩序維持を目的として音楽は使われていないことが分かります。では、\nいつ頃になって、そのような目的のもとで音楽が利用されるようになったのでしょうか。それは皮肉なことに、雅\n楽の伝統が失われた晋代以降でした。\n後漢末の混乱から西晋末の永嘉の乱によって、漢代の国家体制や祭祀の知識・器物は、楽器そのもの、演奏する\n人、(楽譜はなく口伝されていた)音楽そのものが、ほぼすべてなくなってしまいました。後の王朝では、国家で\n行う祭祀や楽器を、漢代の祭祀が記された書物だけから復元しなければならなかったのです。同時に、王朝の初期\nには、国家を中心とした中央集権体制の構築が必要とされたので、音楽を復元するとともに、儀式のなかの雅楽が\n持つ意味が、より重要に、より国家寄りになっていきました。\nそのことを晋代の「元会儀礼」で見てみましょう。晋代の元会儀礼では、皇帝の登場から音楽が演奏され、先に\n紹介した一・やこの要所要所で雅楽が演奏され、その場面のあるべき秩序(上下関係・君臣関係)を強調する役\nすることは禁じられました。\n合うことに主眼があり、上下関係・君臣関係をことさら強調するものではなかったのです。\n前漢・後漢時代は、朝廷や儀式で音楽が演奏されました。天地や山岳を祭る際の音楽は、神の世界と人の世界が\n調和的で秩序だったものであるようにと演奏されたのでしょう。また、儀式で演奏される音楽は、朝廷内の秩序や\n儀式に象徴される秩序を、正しくするために演奏されたと考えられます。\nしかし、前漢の武帝期までは、演奏された音楽は「鄭声」(民間の音楽)であって「雅楽」(正しい音楽)ではあ\nりませんでした。そのため、神や祖先を祀る際の音楽(郊祀・廟楽)・宴会の際の音楽(燕楽)・行軍の際の音楽\n(軍楽)が新たに作られました。これらの音楽は(広い意味で)「雅楽」と呼ばれ、以後は朝廷で民間の音楽を演奏\n\nオンライン授業で考える中国と日本の王権と音楽\n割を担うようになっています。\n【第二部中国と日本の王権と楽器(担当”筆者小川ご\n第一部では、中国古代において音楽が人の心に作用すると考えられていて、和音やそれに人の声を合わせること\nが重視されていたこと、それに基づく正しい音楽である雅楽が、次第に上下関係・君臣関係による秩序づくりに使\nわれるようになったことが理解できたと思います。では、その雅楽はどのような楽器を使って演奏していたのでしょうか。第二部では、さらに楽器という視点から王権と音楽の関係について考えてみましょう。\n中国の雅楽器は、八音と言われる自然界の八種類の素材で作られた楽器を用いることになっていました。その楽\n器とは、①金、金属製の楽器、②石、石または玉で作られた楽器、③糸、絹糸の弦を張った楽器、④竹、竹製の笛\nほうかわ\n類、⑤木、木製の楽器、⑥鉋〔ふくべ〕、ひょうたんなどを素材とした楽器、⑦革、牛の革を張った太鼓、⑧土、\n士を焼いて作った楽器のことです。\nそして、歌手がこれらの楽器を使った演奏に合わせて歌を歌います。八音という異なる素材で作られた楽器によ\nる和音と人間の声が合奏することで、人の心を動かし、自然界と人間社会の調和を図り、あるべき秩序を人々に感\nじさせようとしていました。(資料②中国の雅楽のイメージ参照)\n中国の雅楽器は、実は王朝により違いもあるのですが、以下では、主に使われていた楽器を八音ごとに、スラィ\nこのようにして、国家の儀式と音楽が整備され、君臣関係を強調する仕組みを保ったまま、唐代へと継承されて\nいきます。さらに唐代では、音楽だけでなく「舞踏」も、あるべき秩序・世界の表現として儀式のなかに取り入れ\nられることになります。\n\n織鍵灘譲電\n…\n〃\nI( 中国の雅楽のイメージ }\n資料②中国の雅楽のイメージ(作成;筆者小川)\nドを見ながら確認してみましょう。\nはくしよう\n①金、金属製の楽器とは、縛鐘、そして第\n一部でも出てきた縛鐘が連なった編鐘などで\nす。②石、石または玉で作られた楽器とは、特\nけい\n碧とそれが連なった編聲などです。③糸、絹糸\nしつ\nの弦を張った楽器とは、琴(古琴)や蓋などで\nじ\nす。音を調節する木製の柱という器具がないの\nが琴、あるのを蓋と言います。\nしよ、っはいしよ、つち\n④竹、竹製の管楽器とは、第や排篇、境な\nどです。篭は縦笛です。排第は、下の端をふさ\nいだ長さの異なる複数の竹管を一列に並べて、\n上の端を吹き鳴らして演奏する楽器です。篤は\n第一部でも出てきました横笛です。\nしゆ/、鐸ごよ\n⑤木、木製の楽器とは、祝や故などです。\n(資料③祝、資料④散参照)祝は、四角い箱状\nの楽器で、棒で叩いて演奏します。演奏の開始\nを知らせる時に使います。散は、伏した虎の形\nざさら\nをしています。背にあるぎざぎざを竹製の彫\n\nオンライン授業で考える中国と日本の王権と音楽\nぎよ\n資料④散(後掲『中国音楽再発見く楽器篇\u003e』\n53頁などの資料を参考にして筆者小川\nが作成)\n唖力錘輯蛯弼荘葬\n罰\nしゆく\n資料③祝(後掲『中国音楽再発見く楽器篤\u003e』\n53頁などの資料を参考にして筆者小\n川が作成)\nという道具ですり鳴らして演奏します。演奏の終わりを知らせ\nる時に使います。\n-)よ、う\n⑥鞄、ひょうたんなどを素材とした楽器とは、笙などです。\n笙は、円筒型のうつわの上に長短のある竹製の管を環状に立て\nたもので、吹いても吸っても同じ音が出る東アジア独特の面白\nい楽器です。\nこはくふ\n⑦革、牛の革を張った太鼓とは、鼓や榑柑などです。鼓と言\nいか\nえば、太鼓のことです。榑柑は、皮革に糠を入れたもので、形\nが鼓に似ていて、手で叩いて演奏します。③土、土を焼いて\nけん\n作った楽器とは、壊(填)などです。壊は第一部でも出てきま\nしたが、土笛のことです。\n以上が、八音と言われる八種類の楽器です。ここで、動画で\nこれらを使った再現演奏を聴いてみましょう。なお、いくつか\n動画を見てもらいますが、最後に行うブレイクァウトセッショ\nンでの作業で「中国の雅楽と燕楽を聴いてそれぞれどのように\n感じますか?また、それぞれ音楽的にどのような効果を狙っ\nていると思いますか?」という設問について考えてもらいます\nので、それに向けて、各自感想をメモしながら聴いてみてくだ\n\n日本と中国の雅楽器を比べてみると、中国と同じ笙などもありますが、墓簗、掲鼓、琵琶、箏などは中国の雅楽\n器には見られません。では、なぜこのように違いがあるのでしょうか。その背景には何があるのでしょうか。実\n汽ごいい当己\nは、日本で使われる篁簗、掲鼓、琵琶は、中国古来の楽器ではありません。西域、つまり、中央アジア由来の胡楽\n器と呼ばれるものです。また、箏は、中国古来の楽器ですが、俗楽器と呼ばれるものです。\n胃呂目弓①の動画”中国の雅楽「詩経・鄭風・子衿」の再現映像(三分四十三秒)(篇、笙、蓋、鼓、編鐘、\n編聲、歌鐘、大鐘での再現演奏)を視聴した。﹈\nところで、雅楽は、皆さんも知っているように、日本にもあります。しかし、n本の雅楽で使われる楽器は、中\n国の雅楽の楽器とは大きな違いがあります。管楽器、打楽器、弦楽器の順に確認してみましょう。\nひちりきりゅうてき\n管楽器は、笙・箏簗・龍笛の三つがあり、これを三管と言います。笙は中国の雅楽器にも出てきました。塞藥\nは縦笛で音量が大きいのが特徴です。龍笛は横笛です。\nかっこ‐しよ・うこ\n打楽器は、掲鼓・太鼓・鉦鼓の三つがあります。掲鼓はつづみのことで、二本のバチで両面を打って演奏しま\nす。この楽器は演奏の開始を知らせる役割を持っています。鉦鼓は青銅製の皿状の打楽器です。\n多しセゥ\n弦楽器は、琵琶と箏です。箏とは、中国の雅楽器にあった蘇の小型のもので、古箏とも呼ばれ、柱がつけられて\nいます。日本の琴の原型と言われています。中国の琴は、名前が同じですが、柱がないので別の楽器になります。\nここでこれらを使った日本の雅楽の演奏を聴いてみましょう。\n胃呂目号①の動画芸雅楽「源氏物語」のうたまい」付録口ご己より「管絃」(道友社公開版)二分五十六秒) 【目●崖目巨す①の\n●さいo\nを視聴した。﹈\n\nオンライン授業で考える中国と日本の王権と音楽\nでは、こうした胡楽器や俗楽器はどのような時に使用されるのでしょう奏する目的によって違いがありました。第一部でもお話がありましたが、{具\nで演奏する音楽、宮廷の宴会で演奏する音楽、行軍の時に演奏する音楽など圭\n時に使用されるのか。\n熟議鴬蕊\n篭~~~~~~~\n唐代には、シルクロード交易の発展などにともない、中国に胡楽器が沢山入ってきていて、今の中国ではほとん\nたてくご\nど演奏されませんが竪笙模と呼ばれるハープもありました。(資料⑤竪笙模参照)琵琶などは唐代以降も残りまし\nたが、竪筌模は唐代以降廃れてしまいました。ここで竪笙僕の演奏も聴いてみましょう。中国三大石窟の一つであ\nる敦煙の壁画に書かれているものを意識して再現した動画です。\n胃呂自号①の動画叩竪笙模の演奏「青瑠×敦煙壁画笙模」(琵琶奏者柳青培公開版)(三分五十三秒)を視聴\nした。一\n舛擬坤興\n実は、唐代以降の宮廷音楽には、演\nでもお話がありましたが、宮廷音楽には、宮廷の祭祀や朝廷の儀式\n行軍の時に演奏する音楽などがありました。\nそして、宮廷の祭祀や朝廷の儀式で主に演奏されたのが雅楽です。雅楽は宋代に再整備されて大晟楽と呼ばれ、さらに明代や清代にも再整備されて中和韶楽と呼ばれていました。宮廷では、天地の神を祭る郊祀という祭礼、宗廟という皇帝の祖先を祀る施設や孔子を祀った文廟で行われる祭祀などがあり、そうした場所では雅楽が演奏されていました。\n雅楽は、中国古来の楽器を使用していて、胡楽器や俗楽器は使いませんでした。胡楽器、俗楽器が主に使\n\nたのでしょうか。\nえてみましょう。\nちなみに、楽器にはそれぞれ社会的な役割(機能)に違いがありました。同じ弦楽器でも琴と琵琶では社会的な\nノ、んぷう\n役割に違いがあります。例えば、琴を見てみましょう。「乾隆帝薫風琴韻図」という絵があります。清の乾隆帝が\n琴を演奏している絵です。ではなぜ皇帝が琴の演奏をしているのでしょうか。\n実は、琴には特別な意味があります。昔の中国では、知識人であれば「琴棋書画」というものを身に着けておく\n必要があるとされていました。「琴棋書画」とは、琴、囲碁、書道、絵のことです。そのため、知識人は琴の演奏\nの練習を熱心にしていて、それは琴楽と呼ばれていました。琴の演奏には、「正しい心」を「養う」ための手段、\n精神修養のためという目的がありました。同じ弦楽器でも琵琶にはそのような役割はありませんでした。そうなの\n一9》\nで、皇帝も琴の演奏をしているわけです。\nところで、日本の雅楽では、どうして中国の雅楽器がほとんど使われず、胡楽器や俗楽器が使われるようになっ\nたのでしょうか。中国で皇帝たちが宮廷の祭祀や朝廷の儀式で雅楽を用いた理由についてもう一度確認した上で考\n中国では、秦の始皇帝以来、皇帝支配体制が基本的な政治体制になっていて、漢代以降、上下関係・君臣関係な\nどによる秩序を重んじる儒教思想が皇帝支配を支える重要な政治理念となりました。渡辺信一郎先生の本などによ\nわれたのは、宮廷の宴会(饗宴)の時に演奏される燕楽という音楽です。琵琶や三弦、現代の中国音楽の楽器とし\nにこけいきん\nて有名な二胡の先祖と言われる笑琴、カスタネットのような楽器である拍板や箏などがよく使われました。ここで\n燕楽の再現演奏を聴いてみましょう。\n胃呂目呂の\nの動画詫燕楽・唐曲「瑞鵬鵠」の再現映像(三分五十五秒)(琵琶、箏、竪笙僕などでの演奏)を【国●巨目屋す視聴した。】\n\nオンライン授業で考える中国と日本の王権と音楽\nやうてん\nれぱ、儒教思想では、中国の皇帝たちは、天、昊天上帝という宇宙の最高神から命を受けて天下を支配していると\n考えられていたので、天の子、天子と言われます。そのために、自らの権力の根源である天地を祭り、宇宙の調和\nと地上世界(人間社会)の安定を図ろうとしたと言われています。\n儒教思想では、礼(礼儀)によって外面から人間を秩序づけ、楽(音楽)によって内面から人間を秩序づけよう\nとしました。これを礼楽思想と言います。宮廷の祭礼では、こうした儒教的な礼楽思想により、正しい音楽である\n雅楽が演奏されていました。つまり、皇帝支配を強化する手段として、雅楽が必要であったため、雅楽が宮廷の祭\n祀などで使われていたわけです。\n部で考えてみましょう。\nところが、古代日本の雅楽では、今確認したようにこうした儒教的な礼楽思想に基づいた雅楽器は使われず、胡\n楽器、俗楽器が多く使われています。では、日本で天皇たちが雅楽を演奏させた目的は何だったのでしょうか。そ\nもそも、日本の王権と音楽の関係はどうなっていたのでしょうか。この問題については第二回目の合同授業の第三\n【ブレイクアウトセッション】\nさて、先ほどもお話しましたが、最後にブレイクアウトセッションを使った作業をしてみたいと思います。今、\n仁藤先生に日本史と東洋史合同のセッション(グループ)を作ってもらいましたので、皆さん、五分ほど時間をあ\nげますので、設問の答えをメンバーと考えて、代表の人を選んで、発表してみてください。設問は、「中国の雅楽\nと燕楽を聴いてそれぞれどのように感じますか?また、音楽的にどのような効果を狙っていると思いますか?」\nです。当時の人々になった気分で考えて、グループのメンバーと話し合ってみましょう。\n【ブレイクアウトセッションの結果と教員のコメント】7\nラ\n\n日本の特色を考えるにあたって、中国と比較していくと、よりその共通性や独自性が浮かび上がってきます。比\n較研究という手法です。中国史研究者の渡辺信一郎さんが、注目すべき指摘をしています。古代社会において、日\nもI凸。本と中国での音楽の在り方の違いは、王権の由来・正統性の説明の仕方の違いに起因するのだというのです。\n具体的に、見ていきますと、【資料⑥中国と日本の天下概念且のようになります。第二部で説明があったよう\nに、中国では皇帝は天すなわち昊天上帝という宇宙の最高神から命を受けて統治をおこなうことが許されると考え\nるのです。所謂、天命思想といわれる説明の仕方ですが、皇帝の支配統治の正統性は、昊天上帝の権力委譲による\nきましたが、\nていきます。\n【第三部日本の王権と音楽(担当“筆者仁藤二\n〈|〉王権の在り方の違いと音楽\n第一部では中国における音楽の発生と王権との関係を、第二部では楽器という視点から王権と音楽の関係を見て\nきましたが、第三部では、舞台を日本に移して、日本の王権と音楽との関係、音楽の持つ歴史的意義について考え\n皆さんの感想の内容をまとめてみると、雅楽については、静かさがあり、厳粛で厳かな感じで環境音楽的で緊張\nした感じがする□つまり、人の心を秩序へと導く傾向を感じる人が多いですね。一方、燕楽は、メロディーが分か\nりやすくリズミカルで、明るさや楽しさがある。つまり、人の心を嬉しくし、気分を高めていると感じる人が多い\nですね。燕楽は、私たちが楽しんでいる一般の音楽と同様に芸術性を感じさせ、ある意味、楽しむことを目的とし\nた音楽と言えますが、雅楽は、儒教思相や礼楽思想を重視した音楽で芸術性を考えた音楽ではありません。そのた\nめ、皆さんの印象や推測はだいたいあっていると思います。\n\nオンライン授業で考える中国と日本の王権と音楽\n中国\n日本\n天 昊天上帝 天つ神\n且天孫降臨\n大王・天皇\n地\n資料⑥中国と日本の天下概念図(作成:筆者仁藤)\nと考えられています。ですから、皇帝は、自分に支配統\n治を命じた昊天上帝を受権者として祀らなければ、自分\nの正統性を示すことができません。なので、昊天上帝を\n祀る祭祀が大切であり、そこに音楽と礼を結びつけるの\nです。これが儒教の「礼楽思想」と呼ばれるものです。\nよって、音楽は皇帝の祭祀にとってなくてはならないも\nのとなったのです。第一部と第三部のお話を思い出して\nください。\n一方、日本の王権は、天孫降臨によって語られます。\nつまり、天から降臨した子孫が地の支配統治をおこなう\n大王・天皇になるわけです。血の論理で繋がっているの\nで、中国のように祭祀を行って、天との関係を内外に可\n腿一\n視化しなくていいわけです。そのため、支配の正当性を\n示す場としての祭祀は無用になり、天地祭祀を中心とす\nる礼楽制度は、日本では受容されなかったと考えること\nができるのです。そのため、祭祀で奉納される唐の雅楽\nは継受されず、儀式や祭祀が終わった後の饗宴の場で演\n奏される、燕楽や散楽といった、中国では下級と思われ77\n\nる音楽が日本には伝来し、雅楽となったのだというわけです。\n渡辺さんの指摘は、日本と中国における王権の在り方の違いから、音楽に対する姿勢の差異を説明するもので、\n正鵠を得ているといえるでしょう。\nでは、日本古代には、燕楽という饗宴つまり宴会の時の音楽しかなかったのでしょうか。またその音楽は中国か\nら伝来したものしかなかったのでしょうか。次にそのことを考えてみましょう。\n〈二埴輪は何を語るか〉\n次の一資料⑦}を見てください。埴輪です。いずれも北関東の群馬県の古墳周辺から出土した、豊かな表情と動\n作を持つ人物埴輪です。何をしているかわかりますか?\n﹇チャットを使った全員の作業Ⅱ簡単な問い(アィスブレィクニ\nチャットを使って、三枚写真の人物が何をしているのか答えてください。(約一分)\n「・弦楽器・太鼓・打楽器」といろいろな意見が出ました。一枚目と二枚目は、琴(きん)をひいています。琴・弦楽器・太鼓・\n三枚目はどうでしょう。\n左》埴輪太鼓を叩く男子(群馬県伊勢崎市境上武士出土、古墳時代・六世紀)\n中央蕊埴輪片手を挙げる女子(群馬県伊勢崎市下触出土古墳時代・六世紀)\n右唖埴輪鼓を打つ人物(群馬県伊勢崎市境上武士出土古墳時代・六世紀)\n真ん中の女子が発声しています。左右の男子が太鼓や鼓など打楽器を演奏しているようです。どうやら、六世紀\nの「いきものがかり」のようですね。\n\nオンライン授業で考える中国と日本の王権と音楽\n僑嵜誌 r~F零~.再~J… §蕊蕊爵蕊羅\n蕊灘騨鱗\n鋤竃寿…謀\n…\n~~ ~~~\n払騨篭篭群\n避鑿\n資料⑦群馬県伊勢崎市出土埴輪(東京国立博物館HP・「親と子の\nギャラリー博物館で音楽会」より)\n瓦塚古墳出土埴輪(国\n指定重要文化財・群馬\n県伊勢崎市HPより)\n﹇ブレイクァウト・セッションⅡ第一回目とは異なるグループ﹈\nここで、ブレイクアウトセッションをしてもらいます。問題は、\n「この埴輪から日本古代ではどんな時に音楽が奏でられたと考えら\nれますか?」です。埴輪が再現しているのはどんな場なのか、さら\nに埴輪は埋葬された古墳の主の何を、あるいはどんな行為を再現し\nようとしているのか、考えて話し合いをしてください。セッション\nが終わりましたら、グループの意見を取りまとめて発表してもらい\nます。それぞれ発表者を決めておいてください。(約五分)\n一ブレイクァウト・セッションの結果と教員のコメント一\nグループ①は「神や古墳の主を称えるため・」、グループ②は「祭\n祀儀礼。権力者を称えるため・」、グループ③は「古墳の主の権威を\n称えるため。仏教伝来以前であるが、死後の生活を楽しくする、死\n者との別れを悲しむ、惜しむ意味があるため・」、グループ④は「祭\n祀儀礼。大王と神への儀礼・祭祀のため・」、グループ⑤は「豊作を\n祝うため。死者を弔うため。権威を称えるため・」ですね。皆さん\nは「死者を悼む」ことを重視していますね。古墳という場所である\nことを考えると、埋葬主を悼む葬礼のためとも考えることができま\nすね。しかし、一方で、生前の埋葬主である地方首長が行っていた\n\n光景を再現したものととらえるとすると、首長の仕えていた「大王への儀礼」とも考えることができそうです。こ\nのことを考えるために、次に記紀に琴がどのようなものと観念されていたかを見てみたいと思います。\n〈三記紀にみる王と琴〉\n「古事記」や「日本書紀」には、大王が琴(キン)とかかわる話があります。その中から、今日は二つご紹介し\nキーしよ諺っ。\nオオクニヌシはオホアナムチと名乗っていましたが、根の国を支配しているスサノオの娘であるスセリビメと結\n婚し、スサノオから出された難題を妻の英知で乗り越えます。妻とスサノオのもとを逃げ出す時に、「生太刀寺車」\n「生弓矢寺易さ「天の沼琴ご黄uゞごを盗みだしますが、琴が鳴ってスサノオに追われます。命からがら逃げたオホ\nアナムチは、天下を統治する力を得たというのです。ここで「天の沼琴」はスサノオの大切な宝物、権力の象徴と\n《魁)\nして出てきます。\nまた、大王雄略の子、清寧が亡くなると大王位空位の時期ができました。その時、大王履中の孫である二人の皇\n子が発見され、顕宗・仁賢として即位します。\n\nオンライン授業で考える中国と日本の王権と音楽\nりません。\nこれらの例からわかることは、琴が大王あるいは大王の統治に直結して語られということです。大王への服属を\n(応》示す儀礼として歌舞が奏上されます。渡辺さんは触れていませんでしたが、日本において音楽は、古くは服属儀礼\nとしても存在していたのです。服属儀礼ですから、服属を受ける大王や首長は「聰く王」として君臨しなければな\nす§私\n○ ,\n発見の場となったのは、播磨国で行われた有力者の新築祝の宴でした。貧しい身なりの兄弟が次のように舞をし\n八絃の琴を奏でるように天下をお納めになった聿弄尋(大王履中)の御子市辺之押歯王の子で、今は奴となった\n私、とうたったのです。ここで「八絃の琴をしらぶる如く天下を治めたまへる」と大王の統治を例えることで\nて、歌ったのです。\nその後、六世紀には朝鮮半島から新羅楽・百済楽・高句麗楽など多様な歌舞が入ってきますし、八世紀かけて唐別\n【系図’一\n〆偏」\n「(前略)八絃さ斗の琴を調ぶるごとく天下を治め賜へるイザホワケ天皇の御子市辺之押歯王の奴末さ斗\n仁徳11允恭J1雄略l清寧\n一F安康\nに履中l市辺之押歯王円騨\n\n〈四「聴く王」から「奏でる王」へ-帝王学としての音楽〉\nところが、平安時代’九世紀Iに入って大きく変わることになります。中国から入ってきた音楽が雅楽として整\n備されたのもこの時期です。音楽と王権の在り方を考える上で、大きな画期となったのが、桓武天皇の時であった\nと考えられます。桓武天皇自身が、楽器を奏でたという伝承は残っていませんが、桓武天皇の息子である嵯峨天皇\nとその弟淳和天皇は、琴(キン)の名手として記されています。五世紀に雄略が琴を弾くのとは意味合いが違い、\n「中国風の天皇として演奏」したと考えられます。﹇延暦寺蔵「桓武天皇像」を掲示﹈この桓武天皇の肖像をご覧く\nださい。これは、後世に作られた図像ですが、中国風の冠、衣装をまとっています。一般に、奈良時代や平安時代\nの天皇を描く際に、衣冠束帯という日本の衣装をまとって描かれます。。ここからも「中国風の天皇」として、後\n世まで認識されていたことがわかります。平安初期以降、大陸から入ってきた帝王学としての礼楽を実践するもの\nという形で君臨しようとした、桓武天皇の姿勢が大きく関わってきます。桓武天皇は、自らの出自のアイデンティ\nティを母方の大陸に求め、積極的に中国大陸の習慣や文化を取り入れました。\nや渤海からさまざまな雅楽が入ってきます。大王は常に国内的にも、対外的にも統治支配をするものとして「聴く\n王」としての立場をまもっていったのです。\n【系図2】\n天智I志貴皇子光仁天皇\n~〒111桓武天皇\n渡来系氏族和氏高野新笠\n\nオンライン授業で考える中匡Iと日本の王権と音楽\n(ご琴の時代\n(鋤〉\n桓武天皇の息子の一人である嵯峨天皇は、「和琴血脈」に見える和琴技芸の相伝系図の筆頭にあげられています。\n皇子源信へ和琴を教授した記事のほか、桓武皇子の葛井親王、賀陽親王、良岑安世も琴に通じたことが知られま\nす。次いで、嵯峨の異母兄弟に当たる淳和天皇です。淳和は、嵯峨より宝琴を賜与されたことや群臣の前で和琴演\n(副)\n奏を披露したことが史料に記されています。さらに、嵯峨の子供の仁明天皇です。仁明は「文机談』巻第一「天皇\n御事」に見えるように、和琴の習得に励む一方で、大戸清上や藤原貞敏らを等に派遣して琵琶・笛を習得させた 学事」に見えるよ壷2\nとも伝えられています。\n(鳩)\n特に、昊天上帝を祀る祭祀である天帝郊祀を催行したことは注目されます。先ほどの、渡辺さんの理論を援用すれ\nば、受権者としての昊天上帝を桓武天皇自らが祀るということは、自らの王権を天命思想のもとで正統化したこと\nに他ならないのです。今までの大王や天皇が用いた「天孫降臨」という血筋による正統性ではなく、新たに中国の\n天命思想を用いた、あるいは用いなければならなかったということは注目すべきことです。そのため、桓武朝以\n降、王権を支える要素として雅楽の本格的な導入と整備がなされていきます。\nこのような歴史的な転換を背景にして、音楽を「聴く王」から「奏でる王」へ大きく転換したといえます。この\n転換は重要な意味を持つようになり、帝王学としての音楽の教授・継承が起きてくるようになります。\n次に、帝王学としての音楽がどのように継承されたのか、奏でる楽器を基に考えてみましょう。豊永聡美さんの\nへ四)\nお仕事に基づいて、楽器の変遷を見ていきましょう。\nこの仁明朝において楽制の改革が行われたことも特筆すべき事柄です。荻美津夫さんの研究によれば、仁明朝に\n\nは、それ以前に入っていた雅楽が集大成されて、今日に近い形に整えられたとされます。左方が唐楽(唐楽・林邑\n楽)に、右方が高麗楽(高句麗楽・新羅楽・百済楽・渤海楽)という左右両部制が採用され、使用される楽器が淘\n汰され整備されます。舞楽演奏形式が整備され、雅楽寮だけでなく衛府楽人が生まれ、後世の楽人という家業が芽\n生えてきます。多くの楽曲が作られ、盛んに披露されるようになります。このように、音楽を担う基盤そのものが\n大きく変容し、整えられたのです。荻美津夫さんはこれを「雅楽の和風化・国風化」といっています。\n(二)笛の時代\nやがて幼帝が出現すると、楽器も小型のものが好まれるようになります。笛は幼児にも習得しやすかったとみ\nえ、摂関期・院政期に爆発的に人気をさらうようになります。幼帝として即位した円融天皇をはじめとして、一\n一斜)\nこのほか、清和天皇・宇多天皇~醍醐天皇・村上天皇と九世紀から十世紀前半の天皇まで琴を嗜んだことが知ら\nれています。文学作品の『うつほ物語」は、王権の継承と琴の伝承をめぐる大河ドラマですね。\n一系図3】\n桓武\n|\n’ ’ I ’\n淳嵯\n和峨\n目\n源仁\n信明\nF\n○○\n|\n宇清\n多和\n|\n醍貞\n醐保\nH學\n源村\n高上\n” |\n円\n融\n葛井親王\n賀陽親王\n良岑安世\n\nオンライン授業で考える中国と日本の王権と音楽\n(三)琵琶の時代\n治承寿永の内乱(いわゆる源平合戦)以降、「もののふの時代」が到来を告げるようになると、力強い楽器が好\nまれ、「平家物語」が琵琶で弾き語りされた例を出すまでもなく、宮廷でも広がっていきます。承久の乱をおこし\nた後鳥羽天皇以降の鎌倉時代の天皇は、琵琶を愛好したことが知られています。さらに時代がおりて十三世紀の鎌\n倉時代中期に、膨大な皇室財産を形成していた荘園群が分割相続され、天皇位も後嵯峨天皇以降に両統に迭立され\nるようになると、持明院統の後深草天皇以降は琵琶を、大覚寺統の後宇多天皇以降は笛を相伝するようになりま\n条・堀川・鳥羽・二条・高倉などが笛を愛好したことが伝わります。また、後白河院は催馬楽などの「声技」を、\nその子二条天皇は、笛のほか琵琶にも造詣が深かったといいます。\nす。\n(四)笙の時代\n十四世紀は、鎌倉滅亡、建武の新政、観応の擾乱と政権が目まぐるしく変わります。その中で、北朝の後光厳天\n﹇系図4﹈\n両統迭立﹇一癖鋤搾織一Ⅱ需琶後深草・伏見・後伏見←(北朝)光厳\n後宇多・後醍醐.←(南朝)後村上\n\nと変遷してきたことになります。平安初期以降の王権にとって、音楽は帝王学の一部として、時代と共に楽器の傾\n向は変化するものの習得され、しばしば「奏でる王」として歴史に残ったのですね。\n【全体のまとめのブレイクアウトセッションの内容】\n最後に学生に「音楽とは〜だ。」の「〜」に当てはまる言葉とその理由をメンバーと考えてもらい代表者に発表\n皇以降、笙が持てはやらされるようになります。特に、南北朝を合一した後小松天皇は、笙と琴を嗜むになりま\nす。紀に琴と笛が好まれていたのと、対照的ですね。、十世紀\nこのように、荻さんや豊永さんなどの研究を基に桓武天皇以降に成立したと考えられる帝王学としての音楽と楽\n器のたしなみをまとめてみましょう。平安初期以降、帝王学として天皇が修得し、奏でた楽器は\n平安初期←平安後期←鎌倉時代←南北朝←室町時代以降\n團囹悶圖痙圓團\n﹇系図5-\n(五)箏の時代へ\n十五世紀以降、、す\n(北朝)光厳後光厳〔蠅辨こF小松南間国\nなわち室町時代以降は、箏が大手舞台に立つようになります。\n\nオンライン授業で考える中陵lと日本の王権と音楽\nアンケートは、第一回目の授業終了直後の一○月一三日より、第二回目の授業が終了したのちの二五日までと\nし、白目四gのアンケート機能を使って行った。以下では設問ごとに学生の回答について分析してみたい。なお、\n欠席者とあるは、両日とも欠席し、教材のみにより回答したものである。\nグループ①は「国内統治。政治利用されていたから。」\nグループ②は「思想を表現して人の心を動かすためのもの・」\nグループ③は「権力。人の精神面を動かすから。」\nグループ④は「人間。聴覚によって、人間の意識・無意識を操作し、支配するから。」\nグループ⑤は「祈願。音楽を媒介として、人の心に影響を与え、「お願いの気持ち」を感じさせるから。」\nとなった。そして、学生全員参加の投票倉○○日の無記名投票機能を利用)で、優等賞はグループ②とした。また、\n教員が相談して、健闘賞はグループ④とした。\nさせた。各グループの回答は、\nT﹈授業全体を受けてみて、授業のテーマや内容に興味を持ちましたか?\nこの質問には、「はい」(日本史》十一名、東洋史》七名)、「いいえ」(日本史邪○名、東洋史恥○名)との結果\nとなり、全ての学生が授業のテーマや内容に興味をもっていることが分かり、学生にとって、「中国と日本の王権\n三授業アンケートの結果の分析\n\n完成させたのかです。」\n日本史の学生の回答より芸「音を楽しむ、と書いて「音楽」じゃない。」というのが初めて知って、面白かった\nです。音楽によって、神とつながるという点も興味深く学ばせてもらいました。」「西洋ではバッハを起点に発展し\nてきた和声学があるが中国においては、そのはるか昔から研究がされていたということは驚きである。また音階\n(音程)の発見は数学者ピタゴラスであることは有名であるが、中国においても同様に発見されたのならば、当時\nの中国の数学の発展も考えられると思って面白いと思った。」「(中国の)戦国時代に全ての音階を発することがで\nきる楽器が完成していたという話を聞いて音楽の神秘性を感じた。」「音階が初めは三音だったのに対し戦国時代に\nは十二個の音階で絶対音階を作り出すことが可能になったという点が、音楽もまた発展していったという経緯が分\nかり興味深かった。」「音楽は、神とつながるシールであるということです。」「チャットも使って考えた、外のモ\nノ、人のココロ、声、音の流れが印象に残りました。」「現代とは音楽の価値観が違うと感じました。現代では軽視\nされがちな音楽というコンテンッですが秩序や国家のために扱われていた音楽を学ぶと、現代でも使われる「音楽\nは世界を変える」という言葉が今まで以上にしっくりくるなと感じました。中国以外にもこのような音楽での改革\nを扱おうとした国があるのか気になりました。」「戦国時代に現れた「編鐘」の音階は、どのくらいの時間をかけて\n-2】授塞\n《第一部》\n業\nと音楽」という比較文化史を用いた今回のテーマは興味をひくものであったことが確認でき、このことからテーマ\n設定は問題なかったと考えられる。\nの内容について、興味を持ったことや気になったことを書いてください。(自由記述)\n\nオンライン授業で考える中国とu本の王権と音楽\n東洋史の学生の回答より芸音階に着目することは考えたこともない視点だったので面白かった。」「音域が五オ\nクターブ半もあったことが驚きでした。」「中国では、紀元前から多くの音をあらわすことができ、政治の中でも多\nく取り入れられていたことが分かり、面白いと思いました。」「音楽によって神とつながることや、秩序を強調する\n役割だったことが興味深かったです。」「音を楽しむと書いて音楽ではないということ、そして音楽が上下関係や君\n子関係を強調する役割を担っていたことについて気づかされました。」「現代の音楽は娯楽として楽しむものである\nが、古代中国における音楽というのは「楽しむ」というより「見えない何かを音楽で表現する」と感じた。この授\n業を通じて、古代と現代の音楽の在り方の差異を知ることができた。」\nここから、講義のポイントである、音楽が現代とはまったく違う意味で存在していたことや、音階についての説\n明や音楽が政治的な機能を果たしている点が学生にほぼ正しく伝わり、さらに意外性をもって受け止められ、驚き\nや知的な刺激となっていたことが確認できる。また、学生にとってはあまり身近ではないはずの「王権と音楽」と\nいうテーマではあるが、思いのほか、テーマに沿った回答が寄せられた。\n第一部では、通常のパワーポィント画面での説明のほかに、④画像(曾公乙墓の編鐘)、⑧画面の共有(バー\nチャルピアノを使った音階の説明・実演)、◎動画視聴(曾公乙墓の編鐘を使った演奏)⑨チャット機能(教員の\n問いかけで史料を読み解き、学生がチャットで回答)も導入した。\n通常の講義では、教室で画像・映像を見せても、画面にピントがあいにくかったり、ピントがあっていても、学\n生の目には小さく見える。しかしオンライン授業では、目の前のパソコンの画面に画像や映像が映し出される。学\n生と画面の距離はきわめて近く、学生の視野に占める画面の割合も大きい。こうした条件では、学生は普段よりも\n強く視覚や聴覚を刺激されたに違いない。「意外性」や「驚き」や「知的な刺激」という反応は、まさに多くの刺\n\nまた、◎のチャット機能の利用では、はじめのうちは講義担当の筆者中村がヒントを出しても、なかなか答えを\n全員が見ることのできるチャットに出す学生はいなかった。しかし、一人の学生がチャットで意見を出すと、次か\nら次へと他の学生も回答しだした。こうしたことは、教室での講義でもよく見られる光景である。\n今川は、これらの回答について筆者仁藤がコメントを返し、学生が気づいていない点に注意を向けさせたり、的\n確なコメントを返すことにより、一度回答を出した学生がさらに回答をし直すなど、学生がさらに深く考えて答え\nを導こうとしている様子がうかがえた。\n一人でオンライン授業を進行する場合では、なかなか一度にたくさん来る回答を的確にさばききれないことが多\nいが、今回の複数の教員による合同オンライン授業だったからこそ可能であった。教員側が互いをサポートするこ\nとで、円滑なオンライン授業ができた好例であろう。\n指摘できよう。\n激を受けたことによるコメントであろう。\nつまり、オンライン授業では、④⑤。ともに、教室での講義よりも、よりビビッドに学生に内容が伝わる特徴が\n《第二部》\n日本史の学生の回答より芸楽器の素材に拘りをもつというのが面白いと思った。:…・自然界(世界)を構成す\nる要素というものは世界中で関心が持たれていたが、自然界と人間の調和を図るのであれば、その素材に拘りを持\nつのはたしかに当然だと思った。」「音楽は国民の心に語りかける道具として使われていたという印象を持った。」\n「雅楽で使用する楽器が中国のものと日本のものとでは大きく異なることや、祭祀や儀式において雅楽を用いた背\n\nオンライン授業で考える中匡|と日本の王権と音楽\n景に儒教思想が考えられることなど、楽器からその時代の特徴を知ることができ興味深かった。」「日本の雅楽で使\nわれる楽器の原型が、中央アジア由来のものであったことです。」「音楽というものが人々の娯楽などのためにある\n訳ではなく、自然界との調和や秩序を表す物であったのは新たな認識となりました。」「雅楽と燕楽の違いをみんな\nで話し合って違いを見つけたことが印象に残った。」「音楽に何の意味を持たすのかという点について、中国では儒\n教の教え、儒教思想を扱っていましたが、日本でも時代は変わりますが、「踊念仏」のような教えを音に乗せて扱\nうものが他にあるのか気になりました。」「雅楽と燕楽は、どちらが演奏される機会が多かったのかです。」\n東洋史の学生の回答より芸音楽を使って人心の掌握を図るという点が興味深く、他の時代も同様のことが行わ\nれていたのではないかと興味がわいた。」「皇帝支配を強化する手段として音楽を使おうとした歴史自体が面白いと\n思います。」「音だけでなく、見た目でも様々な種類の楽器があり、視覚的にも作用するものではないかと思い興味\nを持ちました。」「皇帝支配を強化する手段として雅楽が必要というのが、現在の使用方法とは異なるなと感じた。」\n「中国の雅楽器の八音は他の国で使われることがあったのか。唐代以降の宮廷音楽は、.…:使用する楽器に込めら\nれた思いなどはあったのか気になりました。」「演奏する目的で使用する楽器が変わるのは興味深かった。また、雅\n楽と燕楽を比較すると、演奏の仕方やリズムが異なるので音楽が作る雰囲気の重要性を改めて感じた。そして、中\n国の音楽は「権力の表現」の一つとして用いられていることが分かった。」\nここから、講義のポイントである「皇帝支配を強化する手段」という現代とは異なる音楽の役割が学生に興味深\nく感じられたことが分かる。第二部でも、第一部に引き続き、④画像、⑧画面の共有、◎動画視聴、がより直接的\nに学生に伝わり、それが講義内容の興味や理解につながっていることがうかがえる。また、スライドで具体的に楽\n器を確認したことにより、「視覚的にも作用するものではないか」とのコメントもみられ、「中国の雅楽器の八音は\n\n《第三部》\n日本史の学生の回答より芸埴輪が音楽を奏でているということは少なくとも古墳時代から日本に音楽が存在し\nていたと考えられ、音楽の歴史は古く長いと感じました。」「帝王学としての楽器があるなら、逆に名手であるがゆ\nえに地位を上げた者もいるのだろうかと思った。」「日本では音楽は儀礼としての役割を持っていたことが分かっ\nた。音楽の使い方が国によって異なることから音楽は国家のアイデンティティのようなものでもあると思った。」\n「埴輪からも当時の音楽について知ることができ面白かった。また、中国と日本の音楽を比較した際に礼楽思想や\n天孫降臨など考え方の違いが、それぞれの国の音楽に反映されているという点が興味深かった。」「音楽に関しても\n教、プレイクアウトセヅションのような少人数による話し合いをする場合、学生は往々にして恥ずかしがっ\nたり、意見を述べるまで時間がかかったりすることがある。ただし、今回は、顔が見えないこと(後述するよう\nに、これにはマイナス面を感じた学生もいた)、四人前後のグループで議論するため発言せざるをえないという、\nオンラインならではの仕組みが、多くの学生には効果的に働き、講義内容についてより一層の理解・比較・検討を\n促す結果をもたらしたと考えられる。\n学生は実感したのであろう。\n室で、ブレイクアウト』\n他の国で使われることがあったのか。」など違いも意識したさらなる興味も生み出している点が確認できる。\n第二部では、◎で、雅楽と燕楽という異なる音楽を試聴させ、その違いを、⑨ブレイクァウトセッションとい\nう、§○日の機能を用いて学生に任意のグループの中で議論させ、その結果を発表させる取り組みを行ってみた。\n同じ国、同じ時代にも、雅楽と燕楽という実際に視聴して違いが分かるほど異なる音楽が存在したということを、\n\nオンライン授業で考える中国と日本の王権と音楽\n桓武天皇から大きな改革がみられることです。」「楽器を持った埴輪の写真が出てきた時に、やはり音楽は古来より\n人々の生活に深く関わってきたのだなと感じました。」「両統迭立の時代にそれぞれの楽器が違うことです。」「古代\nから中世になったときに聴く王から奏でる王になったことに興味を持ちました。」「本当に楽器を持っている埴輪が\nあり、:::当時の日本を読みとるのにつかわれるものとは思いませんでした。音楽とは、良くも悪くも人の心を動\nかせる道具なのだと私は感じており、演奏する際に使われる道具が時代ごとに移り変わるのはなぜかと疑問に思い\nました。」「日本と中国の統治者の在り方の違いによって、音楽の用途が大きく違うのはとても面白いと思った。日\n本と中国の「雅楽」という言葉の捉え方が音楽性を通してわかるのは興味深いと思った。」\n東洋史の学生の回答より芸中国では地位が低いとされた音楽が日本で重宝されたというのは興味深く、文化の\n伝道の過程を詳しく知りたいと思った。」「比較したのが良かったです。」「国の成り立ちで受け入れられる音楽の形\n態が変わるというのが非常に面白いと感じました。」「日本では、音楽は服属儀礼として存在していたと言うところ\nに興味を持った。」「古代中国における音楽は昊天上帝を祀るものであるが、日本は大王への服属を示すものであ\nり、思想の違いからそれぞれの音楽の在り方を知ることができた。しかし中世になると、中国的要素を積極的に取\nり入れ「帝王学としての礼楽」を実践しており、時代の変遷で音楽の在り方も変わるということが分かった。」「時\n代とともに天皇が弾いていく楽器が異なるところです。」\nここから、講義のポイントである中国と日本の音楽の背景の違い、また、時代による楽器の変化について、学生\nが正しく理解して関心をもったことが確認できる。また、埴輪の史料としての活用法への気づきも見られ、研究法\nの学習にもなったことが分かる。\n\n-4】授業のやり方についてお答えください。\n①チャットを使った作業は効果的と思いましたか?\nはい(日本史錨十名、東洋史エハ名)。いいえ(日本史望名、東洋史二名)\n②ブレイクアウトセッションを使った作業は効果的と思いましたか?\nはい(日本史》十一名、東洋史エハ名).いいえ(日本史”○名、東洋史二名)\n③youtubeなどの動画の活用は効果的と思いましたか?\n【3}あなたはどのくらい授業の内容を理解できたと思いますか?\n第一部おおむね理解できた(n本史率五名、東洋史二二名)・まあまあ(日本史エハ名、東洋史三一名).わかり\nにくかった(日本史恥○名、東洋史二名)\n第二部おおむね理解できた(日本史卵七名、東洋史魂五名)・まあまあ(日本史》四名、東洋史二??"}]}, "item_10002_version_type_181": {"attribute_name": "著者版フラグ", "attribute_value_mlt": [{"subitem_version_resource": "http://purl.org/coar/version/c_970fb48d4fbd8a85", "subitem_version_type": "VoR"}]}, "item_creator": {"attribute_name": "著者", "attribute_type": "creator", "attribute_value_mlt": [{"creatorNames": [{"creatorName": "中村, 威也"}, {"creatorName": "ナカムラ, タケヤ", "creatorNameLang": "ja-Kana"}], "nameIdentifiers": [{"nameIdentifier": "23825", "nameIdentifierScheme": "WEKO"}]}, {"creatorNames": [{"creatorName": "小川, 快之"}, {"creatorName": "オガワ, ヨシユキ", "creatorNameLang": "ja-Kana"}], "nameIdentifiers": [{"nameIdentifier": "23826", "nameIdentifierScheme": "WEKO"}]}, {"creatorNames": [{"creatorName": "仁藤, 智子"}, {"creatorName": "ニトウ, サトコ", "creatorNameLang": "ja-Kana"}], "nameIdentifiers": [{"nameIdentifier": "23827", "nameIdentifierScheme": "WEKO"}]}, {"creatorNames": [{"creatorName": "NAKAMURA, Takeya", "creatorNameLang": "en"}], "nameIdentifiers": [{"nameIdentifier": "23828", "nameIdentifierScheme": "WEKO"}]}, {"creatorNames": [{"creatorName": "OGAWA, Yoshiyuki", "creatorNameLang": "en"}], "nameIdentifiers": [{"nameIdentifier": "23829", "nameIdentifierScheme": "WEKO"}]}, {"creatorNames": [{"creatorName": "NITO, Satoko", "creatorNameLang": "en"}], "nameIdentifiers": [{"nameIdentifier": "23830", "nameIdentifierScheme": "WEKO"}]}]}, "item_files": {"attribute_name": "ファイル情報", "attribute_type": "file", "attribute_value_mlt": [{"accessrole": "open_date", "date": [{"dateType": "Available", "dateValue": "2021-07-28"}], "displaytype": "detail", "download_preview_message": "", "file_order": 0, "filename": "kokushikan-shigaku_025_05.pdf", "filesize": [{"value": "22.3 MB"}], "format": "application/pdf", "future_date_message": "", "is_thumbnail": false, "licensetype": "license_free", "mimetype": "application/pdf", "size": 22300000.0, "url": {"label": "本文", "url": "https://kokushikan.repo.nii.ac.jp/record/15261/files/kokushikan-shigaku_025_05.pdf"}, "version_id": "f2e5e2e9-65a2-4d3f-a16f-036d7c526fa4"}]}, "item_language": {"attribute_name": "言語", "attribute_value_mlt": [{"subitem_language": "jpn"}]}, "item_resource_type": {"attribute_name": "資源タイプ", "attribute_value_mlt": [{"resourcetype": "departmental bulletin paper", "resourceuri": "http://purl.org/coar/resource_type/c_6501"}]}, "item_title": "オンライン授業で考える中国と日本の王権と音楽", "item_titles": {"attribute_name": "タイトル", "attribute_value_mlt": [{"subitem_title": "オンライン授業で考える中国と日本の王権と音楽"}, {"subitem_title": "The Kingship and Music of China and Japan in Online Classes", "subitem_title_language": "en"}]}, "item_type_id": "10002", "owner": "3", "path": ["1273"], "permalink_uri": "https://kokushikan.repo.nii.ac.jp/records/15261", "pubdate": {"attribute_name": "公開日", "attribute_value": "2021-07-28"}, "publish_date": "2021-07-28", "publish_status": "0", "recid": "15261", "relation": {}, "relation_version_is_last": true, "title": ["オンライン授業で考える中国と日本の王権と音楽"], "weko_shared_id": 3}
オンライン授業で考える中国と日本の王権と音楽
https://kokushikan.repo.nii.ac.jp/records/15261
https://kokushikan.repo.nii.ac.jp/records/15261f2bf478d-385f-4943-81c7-ddf6bc8a4be3
名前 / ファイル | ライセンス | アクション |
---|---|---|
本文 (22.3 MB)
|
|
Item type | 紀要論文 / Departmental Bulletin Paper(1) | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
公開日 | 2021-07-28 | |||||
タイトル | ||||||
タイトル | オンライン授業で考える中国と日本の王権と音楽 | |||||
タイトル | ||||||
言語 | en | |||||
タイトル | The Kingship and Music of China and Japan in Online Classes | |||||
言語 | ||||||
言語 | jpn | |||||
資源タイプ | ||||||
資源タイプ識別子 | http://purl.org/coar/resource_type/c_6501 | |||||
資源タイプ | departmental bulletin paper | |||||
見出し | ||||||
大見出し | 論文 | |||||
言語 | ja | |||||
見出し | ||||||
大見出し | Article | |||||
言語 | en | |||||
著者 |
中村, 威也
× 中村, 威也× 小川, 快之× 仁藤, 智子× NAKAMURA, Takeya× OGAWA, Yoshiyuki× NITO, Satoko |
|||||
著者ID | ||||||
内容記述タイプ | Other | |||||
内容記述 | J-GLOBAL ID : 200901014132131588 | |||||
著者ID | ||||||
内容記述タイプ | Other | |||||
内容記述 | J-GLOBAL ID : 200901006388422331 | |||||
著者ID | ||||||
内容記述タイプ | Other | |||||
内容記述 | J-GLOBAL ID : 201401097517608612 | |||||
書誌情報 |
国士舘史学 en : Kokushikan shigaku 巻 25, p. 61-104, 発行日 2021-03-20 |
|||||
出版者 | ||||||
出版者 | 国士舘大学日本史学会 | |||||
NCID | ||||||
収録物識別子タイプ | NCID | |||||
収録物識別子 | AN10466645 | |||||
論文ID(NAID) | ||||||
関連タイプ | isIdenticalTo | |||||
識別子タイプ | NAID | |||||
関連識別子 | 40022544823 | |||||
NDC | ||||||
主題Scheme | NDC | |||||
主題 | 377.15 | |||||
NDC | ||||||
主題Scheme | NDC | |||||
主題 | 762.22 | |||||
NDC | ||||||
主題Scheme | NDC | |||||
主題 | 768.2 | |||||
NDC | ||||||
主題Scheme | NDC | |||||
主題 | 288.4922 | |||||
NDC | ||||||
主題Scheme | NDC | |||||
主題 | 288.41 | |||||
フォーマット | ||||||
内容記述タイプ | Other | |||||
内容記述 | application/pdf | |||||
著者版フラグ | ||||||
出版タイプ | VoR | |||||
出版タイプResource | http://purl.org/coar/version/c_970fb48d4fbd8a85 | |||||
キーワード | ||||||
オンライン授業 遠隔授業 音楽 楽器 皇帝 天皇 宮廷 王権 |