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アイテム
達成のない課題としての「児童生徒理解」 ─ 教師たちの語りから ─
https://doi.org/10.32150/00009626
https://doi.org/10.32150/00009626b9025555-9a45-4ef2-88bc-904d8d4b678d
名前 / ファイル | ライセンス | アクション |
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![]() |
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Item type | 紀要論文 / Departmental Bulletin Paper(1) | |||||||
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公開日 | 2022-04-19 | |||||||
タイトル | ||||||||
タイトル | 達成のない課題としての「児童生徒理解」 ─ 教師たちの語りから ─ | |||||||
言語 | ||||||||
言語 | jpn | |||||||
キーワード | ||||||||
主題Scheme | Other | |||||||
主題 | 教職大学院 | |||||||
資源タイプ | ||||||||
資源タイプ識別子 | http://purl.org/coar/resource_type/c_6501 | |||||||
資源タイプ | departmental bulletin paper | |||||||
ID登録 | ||||||||
ID登録 | 10.32150/00009626 | |||||||
ID登録タイプ | JaLC | |||||||
著者 |
稲葉, 浩一
× 稲葉, 浩一
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抄録 | ||||||||
内容記述タイプ | Abstract | |||||||
内容記述 | 本稿は『生徒指導提要』に代表される公的な児童生徒理解言説(観念)が、饒舌なまでに「理解」のありかたを示す一方で、何をもってそれが達成されるのか示すことができないまま、無限定的に学校教育現場に児童生徒理解を課す構造となっていることを指摘する。これは公的言説(観念)が想定する他者理解のありかたが、日常生活者が実際に行っているそれを根本的に捉え損なっているためである。そこで本稿では、実際に学校教育現場の最前線に立つ教師たちは、「児童生徒理解」をどのようにとらえ、またその技法を身に着け、実践しているのかを、インタビューデータをもとに分析し、その一端を明らかにする。そのなかで明らかとなったことは、教師たちは生徒たちの客観的な唯一の「真実」に到達するよりも、むしろ教師同士生徒たちに対する「解釈」を協働的にその都度生成し、ときにはその「解釈」にあえてバリエーションをもたせてさえいるということである。 | |||||||
書誌情報 |
北海道教育大学大学院高度教職実践専攻研究紀要 : 教職大学院研究紀要 巻 12, p. 139-151, 発行日 2022-03 |
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ISSN | ||||||||
収録物識別子タイプ | ISSN | |||||||
収録物識別子 | 21859620 | |||||||
書誌レコードID | ||||||||
収録物識別子タイプ | NCID | |||||||
収録物識別子 | AA12518533 | |||||||
著者版フラグ | ||||||||
出版タイプ | VoR | |||||||
出版タイプResource | http://purl.org/coar/version/c_970fb48d4fbd8a85 | |||||||
出版者 | ||||||||
出版者 | 北海道教育大学大学院教育学研究科高度教職実践専攻 |